中国の王朝の一つ。 265年、司馬炎が魏の皇帝・曹奐から禅譲による帝位簒奪により建国。 280年に呉を滅ぼし、中国を統一し三国時代を終焉させる。 しかし、その後は八王の乱や匈奴など異民族の勢力により衰退。 316年に長安が陥落し、4代皇帝である愍帝が殺され滅亡。
国号は「晋」だが、317年に江南で司馬睿によって再興された東晋に対して西晋と呼ばれる。
寒泉という台湾のサイトがある。そこは資治通鑑の検索ができ、便利だったのだが先日からつながらなくなってしまった。もっとも資治通鑑は編年体なので調べたいことがあれば年代の目星をつけて情報を探せばいいだけではあるのだが、寒泉の資治通鑑は胡三省の注も表示できたのでたとえば三国志の不明な地名を検討する際などは寒泉で検索して胡三省の見解をまず見るというのが習慣化していた。三国志集解を手に取るよりも遥かに簡便だった。そのうちまた使用可能になればよいのだが。 そう考えると中央研究院の漢籍全文史料庫が使えなくなってしまったらと思うとゾっとする。もちろんそこでは正史の検索をしており、本ブログを書く作業、考える作業…
福原啓郎 『西晉の武帝 司馬炎』 白帝社 概略 タイトルは「司馬炎」個人にフォーカスしているように見えるが、実際の中身は「西晋史」だ。司馬懿の立身からはじまり、永嘉の変による西晋滅亡までを扱う。その過程となる司馬氏の台頭や八王の乱の経緯もまとまっている。歴史的事件の羅列ではなく、当時の風潮や時代の特徴についての考察もあり、面白い内容になっている。西晋にフォーカスした本は希少で、この辺りの歴史に興味があるならばオススメ。絶版本だが『Knowledge worker』でpdf版を購入できる。 KNOWLEDGE WORKERの商品リンク 商品詳細 | Knowledge Worker 「西晋」とい…
後漢末期〜三国時代という混乱した中国を再統一した西晋王朝ですが、2代目の恵帝の時に早くも瓦解を迎えます。その原因となったのが八王の乱と永嘉の乱の勃発です。 前者は司馬一族の権力闘争、後者はそれに乗じた五胡と言われる異民族の侵攻と説明されます。 ○八王の乱 後漢は外戚政治と宦官によって衰退の道を辿りましたが、西晋もまた外戚によってその滅亡の契機が作られました。暗愚な恵帝を補佐する形で皇太后の一族である楊氏が専制を行いますが、これに反発した恵帝の皇后賈氏は皇族の汝南王亮と楚王瑋の力を借りこれを排除します。ここまではいいのですが、賈氏はこの二王さらには皇太子までも殺害してしまったために朝野は反発。趙…