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西鉄ライオンズ

(スポーツ)
にしてつらいおんず

福岡市を本拠地とするプロ野球チーム。パ・リーグに所属。

親会社は西日本鉄道。
ホームグラウンドは平和台野球場。
チームカラーは濃紺。
球団歌は「西鉄ライオンズの歌」。

リーグ優勝5回(1954・1956・1957・1958・1963)。
日本一3回(1956・1957・1958)。

沿革

  • 1951年2月26日、西鉄クリッパーズ西日本パイレーツを吸収合併、「西鉄ライオンズ」となる。
  • 同年、三原脩を監督として招聘。
  • 1954年、「三原魔術」により初のリーグ優勝を果たす。
  • 流線型打線を形成し1956年〜1958年に日本シリーズ3連覇を達成。黄金時代を形成。
  • 三原脩の退団に伴い、川崎徳次が監督に就任。
  • 1962年、中西太が選手兼任監督に就任。
  • 同年5月21日、東映フライヤーズとの試合は戦後初の海外遠征試合として、米国占領下の沖縄で初めて開かれた。
  • 1963年、南海ホークスに8.5ゲーム差と大差をつけられていたのを跳ね返し、最終戦で奇跡の大逆転優勝を飾る。
  • 1969年、黒い霧事件により、主力選手の退団・出場停止。
  • 1970年、中西太の病気に伴い、稲尾和久が監督に就任も、それに伴う観客動員数の減少により経営が悪化。
  • 1973年、福岡野球株式会社に身売り。「太平洋クラブライオンズ」となる。

福岡の40代以上のファンは今も西鉄ライオンズファンが多く存在する。
また、福岡ドームで西武ライオンズ(埼玉西武ライオンズ)の試合が行われる時は、西鉄ライオンズ時代の球団旗を掲げて応援している。

歴代監督

永久欠番*2

*1:1965年は病気のため、13試合のみ深見安博が代理監督となる。また、1969年は病気のため鬼頭政一が代理監督を務めた。

*2:1973年、身売りにより失効した。

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