はじめはその美貌が呼びよせた災難故に、長じてからは叔父による廟堂簒奪に、そして東国の門弟からの留守職認定に苦しんだ覚如は、他者から干渉を受けることに、心底うんざりしていたのではないだろうか。そんな彼が大谷廟堂の独立――つまり寺院化を目指したのは、当然の流れであった。 というよりも、もっと若年の頃から寺院化を志していた節がある。覚如は26歳の時に、曾祖父・親鸞の伝記絵巻物の制作をプロデュースしており、以降も同様の絵巻物の作成に勤しんでいる。 こうした動きは墓所を守る子孫がなすべきこととして不自然なものではないが、同時に「親鸞の法脈をも継ぐ意志と資格がある」という周囲にむけてのアピールであり、来る…