江戸時代の大名で、徳川家康の直系の子孫にあたる家柄。 御三家、御三卿、御家門(越前松平家とその分家、会津松平家とその分家)、連枝(御三家の分家)から成る。御三家、御三卿は徳川姓を名乗り、その他の親藩は松平姓を名乗った。 徳川家康以前の分家や家康の異父弟の家系で松平を名乗る諸侯も多数あるが、これらは親藩大名ではなく譜代大名扱いであった。
どうも、先日都内で大名屋敷跡巡りした際最後に上野公園を訪れました。目的は旧寛永寺の伽藍跡巡りでしたけど。 先日の記事↓ senri-nchu.hatenablog.com 軽く記事に上野東照宮の写真は貼ってますが、境内の灯籠の写真は載せてなかったので今回ここで何枚か載せることにしました。
※Noteからの転載です https://note.com/sparkxinghuo/n/n70b27fd909c5 2階と3階の主な調度品は、小倉城の歴史上の人物や文化が中心となっている。 古来、小倉は九州から本州への玄関口であり、鎖国時代には小倉を制するものは九州全体を制するものであった。 戦国大名の毛利元就が最初に小倉城を築き、その後、豊臣秀吉の信頼を得て毛利勝信が城主となった。 秀吉の死後、関ヶ原の戦いで天下が決した1600年、細川忠興は徳川家康の信頼を得て、中津城から小倉城に移り、小倉城主となった。 1632年、細川家は他所に移り、親戚の播磨・明石城主小笠原忠勝が新たに小倉城主となっ…
序文・社外取締役 堀口尚次 御附家老(おつけかろう)は、江戸幕府初期、将軍家の連枝(れんし)〈親戚〉を大名として取り立てた際に、特に将軍から直接の命令を受けてその者の家老に附属された家臣のことをいう。江戸時代には、将軍から附けられたことから「御附家老」と呼ばれたが、現在では単に附家老ということが多い。多い場合は十数人付けられたらしいが、通常はそのうちの筆頭家老を指す。附家老家の中でも徳川御三家の筆頭附家老5家が特に知られている。 将軍の一族から大名に取り立てられた人物には、小姓などの側近を除いて固有の家臣はいないので、藩政を担う家老はみな将軍家から付けられた者となるが、ここでいう附家老は、政務…
秋葉原から霞が関に向かう途中、大手町プレイスに寄ってみた。 大手町プレイスは2013年8月31日をもって閉館し取り壊された逓信総合博物館(逓信ビル)及び旧東京国際郵便局舎跡地に「大手町二丁目地区第一種市街地再開発事業」により建設された街区の名称であり、「ウエストタワー」及び「イーストタワー」の2棟の高層ビルで構成される。 以前この辺りを訪問した時は気が付かなかったが、案内版が設置してあった。 発見日 2022年7月25日 発見場所 東京都千代田区大手町二丁目 福井藩常盤橋江戸上屋敷跡 江戸時代、この辺りには福井藩の常盤橋上屋敷(藩邸)がありました。福井藩・越前松平家の藩祖は、徳川家康の次男結城…