足利尊氏(あしかがたかうじ)が擁立する京の持明院統(じみょういんとう、北朝)と、吉野山(現在の奈良県吉野町)に朝廷を構えた大覚寺統(だいかくじとう、南朝)との対立を軸に、内乱は続いていく。 九州では勢力が拮抗していた。康永元年・興国3年(1342年)に征西将軍の懐良親王(かねよししんのう、かねながしんのう、後醍醐天皇の皇子)が九州入りして以降は南朝方が勢いを増していく。 『島津国史』(19世紀初め頃に鹿児島藩(薩摩藩)が編纂した正史)の記述をもとに南九州の動きを追っていく。 4回目の今回は、貞和4年・正平3年(1348年)頃から。元号については北朝と南朝のものを併記。日付は旧暦で記す。 幕府が…