時に観応2年(1351)の2月24日。 このとき(おそらく)長門国の赤間関(関門海峡の本州側)にあった鎮西探題・一色道猶の下に、謎めいた誤報が届けられました――先に言ってしまうと間違いなく誤報です。 報告された文面そのものは残存していないのですが、翌日の25日、この誤報を一色道猶は田原直貞に報じていますので、そこから内容を把握できます。こちらも結論を先に言ってしまえば、中央の戦線における幕府方の優勢を伝え、助力を求めるものです。 〔入江文書〕京都御使僧、昨日〈廿四日申刻〉到来す、鎌倉殿、弐拾余万騎の御勢を率いて御上洛の間、京着を御存有るべきの由、去月十八日早馬を進められ候に依りて、播磨国書写山…