→詞花和歌集
わが為にくる秋にしもあらなくに虫の音(ね)きけばまづぞ悲しき 古今集・読人しらず しののめのほがらほがらと明けゆけばおのがきぬぎぬなるぞ悲しき 古今集・読人しらず*きぬぎぬ: 衣を重ねて掛けて共寝をした男女が、翌朝別れるときそれぞれ身 につける、その衣。 君がいにし方やいづれぞ白雲のぬしなき宿と見るぞかなしき 後撰集・藤原清正 惜しからでかなしきものは身なりけり憂世そむかむ方を知らねば 後撰集・紀貫之 ながらへば人の心もみるべきに露のいのちぞかなしかりける 後撰集・土佐 みる夢のうつつになるは世の常ぞ現のゆめになるぞかなしき 拾遺集・読人しらず わぎもこがねくたれ髪を猿沢の池の玉藻と見るぞ悲し…
月の詩情については、短歌と俳句の両面で昨年すでにまとめている(8月30日~9月10日)。このシリーズでは、月の満ち欠けに付けられた日本独特の美しい名称を詠んだ短歌作品を見てみたい。 月は約30日で地球を一周する。その間に新月、上弦、満月、下弦 の順に満ち欠けする。満月(望月)、三日月、弓張月、十六夜月、立待月、居待月、寝待月(臥待月)、二十日月、片われ月、弦月 など。まことに豊かな日本語である。順不同で説明していこう。[参考]月の名称と状態については、webの「お月様の満ち欠けと呼び名」 koyomi8.com/reki_doc/doc_0203.htm が分かりやすい。 満月: 英語の呼び名…
行尊 (天喜三~長承四(1055-1135)) 平安時代後期の天台宗の僧侶(平等院大僧正)・歌人。三条院の曾孫。大峰・葛城・熊野など各地の霊場で修行。白河院・鳥羽院の熊野臨幸に供奉。また画もよくし、衣冠を着けて歌を詠んでいる柿本人麻呂像を夢にみて写したという画があり、人麻呂像の最初のものとされる。 [生活感] もろともにあはれと思へ山桜花よりほかに知る人もなし 金葉和歌集 心こそ世をば捨てしかまぼろしの姿も人に忘られにけり 金葉集 *熊野で修行中の行尊を、知りあいであった藤原祐家が見分けられなかった 場面で詠んだ。 春くれば袖の氷もとけにけりもりくる月のやどるばかりに 新古今集 木の間もるかた…
良暹(りょうぜん) (生没年未詳(990頃~1060頃)) 平安時代中期の僧(比叡山の天台僧)・歌人。歌語をめぐって論争した話や,良暹の詠んだ上句に誰も下句を付け得なかった話など,多くの説話が伝えられている。 [生活感] さびしさに宿をたち出でてながむればいづくも同じ秋の夕暮 後拾遺集 板間より月のもるをも見つるかな宿は荒らしてすむべかりけり 詞花集 *荒廃した家でこそ月光の侘びた風情を味わえるという(隠者の趣味)。 逢坂の杉のむらだちひくほどはをぶちに見ゆる望月の駒 後拾遺集 *詞書に「八月駒迎へをよめる」とある。諸国から献上される馬を逢坂の関で迎える 行事の際に詠んだ歌なのである。「をぶち…
木々も色づいています。 モミジ このモミジの葉は、茶色に色づいてから緑に変わってきました。 今回の文章は、十善戒の「不邪淫(ふじゃいん)」をテーマに、道に外れた愛をめぐって書いたものです。 ※ ※ 「法の水茎」48(2016年6月記) 雨に打たれて、紫陽花がしっとりと色づいています。もともと紫陽花は、集まるという意味の「集(あ)つ」と、濃い青色を表す「真(さあい)」が合わさって名付けられたと言われています。小さな花弁は土壌によって青くなったり紅くなったり……さまざまな模様を見せてくれます。雨の日が続くと気分も沈みがちになりますが、美しい花を咲かせる恵みの雨と思えば、心模様も明るくなります。 う…
主に文楽人形遣いの祖に関する部分を読んでみた。慣れない筆跡に大分苦労しました。 いっぱい間違えていそう。間違いはいつもの事だけどいつもに増して。 読んだ本 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2533618 14(左頁5行目) 傀儡考 百太夫 夷子まはし和妙抄雑芸具に傀儡を載て久々豆とある如く偶人なり 然るに遊女と同類のものとすること何故とも弁へたるものなく あらぬひがごとのみいふめり 又偏に旅館の出女と心得るは詞花集(別哥)あづまへまかりける人のやどりて侍りけるが暁にたちけるによめる 傀儡靡く はかなくもけさの別のをしきかないつかは人をながらへて見むなどあれ…