元々は、「『論語』読みの『論語』知らず」である。如何にも『論語』を読んでいますというような顔をしている人が、結局は文章の些末なところに引っかかって、その本質を掴めていないことを揶揄する俗諺である。さて、とりあえず以下の一文をご覧いただきたい。 『デカルト選集』のような、立派な画期的な訳業が現われても、やはり「デカルト読みのデカルト知らず」がぞくぞく発生しているだけであるのは情けない。私思うに、ものを考える人間は人の書いた書物などをあんまり読んでいてはいけないのだ。何のメチエももたず、ただあたまの運転の法則だけに頼っているからこんなことになるのである。 林達夫氏「開店休業の必要」、『歴史の暮方』…