和歌山駅−貴志駅間 14.3km、単線。 愛称:「わかやま電鉄貴志川線」 2006年3月末日まで南海電気鉄道の路線だったが、南海本線が発着する和歌山市駅ではなく、JR阪和線・紀勢線・和歌山線の和歌山駅の片隅に発着する。南海電鉄時代は他の路線とは連絡しておらず、架線電圧も他路線の1500Vではなく、600Vだった(和歌山電鐵に移管されてから1500Vに昇圧された)。車両は南海電鉄から譲り受けた複電圧車が使用される。
歴史は和歌山鉄道が1916年2月に和歌山駅−伊太祁曽間、1933年8月に伊太祁曽−貴志間を開業させたのに始まる。その後、和歌山電気軌道(和歌山の市内電車を走らせていた会社)を経て、南海電気鉄道に合併されたのは1961年11月である。赤字のため南海電鉄が路線廃止を表明したところ、岡山電気軌道が名乗りを上げ、2006年4月1日、岡山電気軌道の完全子会社「和歌山電鐵」により経営を引き継いだ。
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「いまだかつてない電車」 先日の台風2号と梅雨前線の影響で停電と床下浸水という被害をうけ止まっていましたが復旧が進み6月7日より通常運転に戻ったという公式HPの情報入手で、さっそく和歌山へ。 和歌山インターが近づいてくると車の窓からは和歌山市郊外に広がる、茶色く濁った溢れんばかりの水田の風景が目に映りました。稲の先っちょ、苗がわずかにみえる程度。 紀ノ川SAで簡単に昼食を済ませ「伊太祁曽駅」(いだきそえき)近くの指定駐車場へ車をおいてホームで電車を待ちました。スマホで撮影した写真を紹介したいと思います。777匹の“たま”のキャラクター絵と遊び心満載の車内デザインを手がけたのは岡山県出身の三戸岡…
ねこ駅長に会いに和歌山駅から貴志駅まで行ってみた 和歌山に旅行に行った時、和歌山電鐵貴志川線の貴志駅まで行ってきました。 貴志駅にいるねこ駅長に会うのと、貴志川線の楽しい電車たちに乗るのが目的です。 行きも帰りも途中にある伊太祈曾駅で乗り換えて、合計4種類の電車に乗りました。 ねこ駅長に会いに和歌山駅から貴志駅まで行ってみた 和歌山駅 貴志駅 伊太祈曽駅 うめ星電車 動物愛護電車 たま電車 いちご電車 チャギントン電車 おもちゃ電車(2021年9月5日運行終了) たま駅長 重ね捺しスタンプラリー 広告 // 和歌山駅 貴志川線はJR和歌山駅の9番ホームから出てます。 JRの改札口は駅員さんに貴…
徳川御三家の一つだった紀州徳川家のおわす和歌山は由緒ある城下町として栄えていたのに近年は太平洋ベルト地帯の経済発展からとり残され人口37万人の中小都市に甘んじている。大阪府から和歌山県北部に路線網を有する南海も和歌山県内の部分の乗客の減少に頭を悩ませている。もとより南海本来の路線ではなく吸収合併によって生まれた貴志川線は他線とは離れていて架線電圧も違いいつの間にやらお荷物路線になってしまっていた。南海がこの路線の廃止を2003年に打ち出してから沿線自治体が存続を求めて受け皿となる鉄道事業者探しをした。名乗りを挙げた企業の中から選考の結果岡山電気軌道が受け皿となってその100%子会社の和歌山電鐵…
野上電鉄に乗った同じ日に南海貴志川線にも乗っている。乗ろうと思ってなかなか乗れないでいた線だ。野上の動木駅から県道を越えていくと貴志駅は近い。野上を動木で降りて公衆電話から地元のタクシーを呼んで貴志に着いた。南海といっても他の線とは離れ小島になっていて独立した運行をしている。架線電圧も他線が昇圧されてもここだけ600Vで残った。そのため幸か不幸か南海本線を追われた吊り掛式の1201系がここで生き延びることになった。野上もそうだったが平成の世になってなお生きている戦前の吊り掛け車はそれだけで涙モノである。野上に比べると車両の手入れが良くてさすが大手と思わせた。またこの1201系はパンタ位置がかな…
3連休の最初の2日は,とりたてて書くべきことはありません.最終日,すなわち本日の出来事を,2回に分けて書きます.
和歌山駅の入場券です。 指定席券売機で購入したものです。 最初は実利用するつもりはなかったのですが、西口と東口を結ぶ地下連絡通路の場所がわからずに西口から東口に抜けるために改札内を通過するため実利用しています。 和歌山駅の西口駅舎 和歌山駅は和歌山県和歌山市にある駅です。南海電鉄の和歌山市駅とは別の場所にあります。 和歌山駅にはJR西日本の阪和線、紀勢本線、和歌山線と、和歌山電鐵の貴志川線が乗り入れています。 そのうち、紀勢本線和歌山市方面と和歌山線が発着する7番、8番ホームには中間改札が設置されています*1。 紀勢本線に関しては中間駅ですが、和歌山駅で系統が分けられています。 特急は全列車停…
地元の図書館の今月のテーマは、鉄道でした。 展示してあった本の中から借りた一冊です。 越信行さん作。 北海道から沖縄まで、厳選された62の駅が紹介されていました。 そのうち、実際に行ったことのある駅は、7つしかなかった。 どの駅も、写真がきれいです。 小さな文字の解説まで、全部読み尽くしました。 表紙は、和歌山電鐵貴志川線 伊太祁曽駅。
南海貴志川線のモハ1201形が1995年3月に消滅し、南海唯一の吊掛車となった1521系ですが、これも風前の灯でした。貴志川線同様に高野線の22000系や21000系などが新車の投入でローカル線に玉突き転出となり、余剰となった1521系が羽倉崎の車庫に留置されていました。そして、そのうちの8両は弘南鉄道に譲渡されました。弘南鉄道と言えば、東急7000系ステンレスカーを導入して新性能化を推進していたはずです。なぜ吊掛車の南海1521系を購入したのか理解に苦しみますが、東急7000系よりも大きな20m車が欲しかったのでしょうか? 1.クハ3901+モハ1521 (木津川:1995年7月) 1995…
南海電鉄1521系は吊掛電車ですが、いわゆるアコモ改造車の部類なので正直興味がありませんでした。少なくとも貴志川線のモハ1201形とは別物でした。しかし、1521系を見るために出向いた汐見橋線は別な意味で印象的でした。とても大阪市内のド真ん中に存在するとは思えない不思議な空間だったからです。 1.クハ3901+モハ1521 (岸里玉出:1995年7月) 例によって、撮影ポイントを探るために全線を歩きましたが、汐見橋線は車両以上に沿線のロケーションが強烈でした。なんと表現したら良いのか?適当な言葉が見つかりません。ちなみに撮影ポイントはほとんどありません。 2.木津川駅舎 (木津川:1995年7…
1995年3月末に南海の離島だった貴志川線のモハ1201形が引退してしまいました。これで南海電鉄もようやく新性能化がなされたかと思いました。 ・・・が、しかし、大阪市内に、こっそり吊掛車が残っていました。 1.クハ3901+モハ1521 (木津川:1995年7月) ここは南海高野線から切り離されてしまった、通称「汐見橋線」です。この路線には、かつてカルダン車の6000系が走っていたような気がしましたが、こんなところに吊掛車がいました。しかも、この路線で走る全列車が吊掛車です。 2.クハ3901+モハ1521 (岸里玉出:1995年7月) ご存知の通り、汐見橋線は元々高野線として開業した本線でし…
台風通過の翌日,すえの子が一人で大阪へ行きました.
この記事では、台風7号の接近に伴う、14日〜15日にかけての近畿地方の私鉄とJR西日本の北陸・岡山地区の一部エリアで発表されている運転計画をまとめます。
撮影日: 2005年8月19日 2005年の青春18きっぷ旅行で大阪に行った後の復路の道中の写真。 和歌山駅周辺で撮影した写真をお送りする。 なお、当駅にはJR西日本の「紀勢本線」「阪和線」「和歌山線」と和歌山電鐵の「貴志川線」が乗り入れている。 ※使用機材: PENTAXのフィルム一眼レフカメラ ※記事の最終更新日: 2023年8月14日 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 和歌山駅の中央口駅舎 和歌山駅西側を通る国体道路 和歌山駅周辺の地図 関連記事 和歌山駅の中央口駅舎 和歌山駅西側を通る国体道路 和歌山駅周辺の地図 (a…
CLUB GATE(クラブゲート) LIVE HOUSE OLDTIME(オールドタイム) LIVE SPACE MOMENTS(モーメンツ):南海和歌山市駅[通称:市駅]からのバスでの行き方は後日掲載 和歌山市の中心部・ぶらくり丁(ちょう)商店街の周辺にある、ライブハウス3店舗への行き方(道順)まとめ。2つの最寄り駅(南海和歌山市駅[通称:市駅]/JR和歌山駅)から路線バスで行く方法もまとめてます *未完成(書きかけ)の項目も一部ありますが、記事自体はご利用いただけます! ⚠️🏇場外馬券販売所〈DASH和歌山/J-PLACE和歌山〉まで、市駅/和駅から徒歩で行かれる方はお手数ですが、文章中の…
南海モハ1201形の車歴はさておき、1995年1月17日に阪神淡路大震災が発生しました。特に神戸方面は甚大な被害を受けて多くの犠牲者がでました。道路や鉄道も寸断され、私が幼少の頃住んでいた夙川辺りも、阪急電車の高架橋が崩壊して近づくこともできない程の被災状況でした。そんなこともあり、しばらく貴志川線のことをすっかり忘れていましたが、年度が変わった4月1日に貴志川線を目指しました。 1.モハ1202+モハ1210 (伊太祁木:1995年4月) モハ1201形は前日の3月31日に引退しました。よって、この日はもう走っていませんでしたが、先ずは伊太祁曽へ出向きました。 2.モハ1202+モハ1210…
ランキング参加中バイク 和歌山電鉄の貴志駅へたま駅長に会いに行きます ここが貴志駅です、和歌山電鉄は岡山電気軌道の子会社で両備グループです、元は南海電鉄の貴志川線でした2006年から和歌山電鐵として営業しています 駅舎も~特徴有りますね キャラクターはたま駅長で、初代は2007年から駅長に就任しています 現在は2代目の二タマ駅長(2015年)に変わってます、こちらがニタマ駅長です 丁度、たま電車がやって来ました 折り返しですぐの発車です こちらは親会社の岡山電気軌道のたま電車です(8年前の記事ですが)夏の間は車内に風鈴が取り付けられていました さて、貴志駅を後にランチへ行きましょう 駅からすぐ…
前回から南海電鉄モハ1201形の車歴の話題になりました。貴志川線には10両のモハ1201形が残存していましたが、この他のモハ1201形についても車歴が気になるところです。以前、第208話でも触れましたが、モハ1201形は複数の形式から統合されたり、分離されたり、何度も改造、改番を繰り返すなどして、累計46両も在籍しました。個々の車歴は様々であり、久々に車歴の呪縛が蘇ります。 1.モハ1217+モハ1218 (和歌山:1995年1月) 車歴の呪縛と言えば、第133話で話題に挙げた弘南鉄道3600系の前身である元東急3600系を思い出します。戦前の古い車両は、他社からの移籍や戦災復旧により出処がは…
南海貴志川線に最後まで残ったモハ1201形は比較的初期車が多く残っていましたが、いずれも結構原形を留めていました。他形式からの編入を含めて、かつては累計46両も在籍し、廃車後に他社へ転じた車両もありましたが、結果的に自社のモハ1201形が一番長生きしました。 1.モハ1217+モハ1218 (伊太祁曽:1995年1月) その理由には、DC600Vき電の貴志川線の存在が大きかったわけですが、ここまで長々と使用されたのは、恐らく後継車として複電圧車で残されていた高野線22000形の捻出を待っていたのかも知れません。 2.モハ1241+モハ1234 (吉礼~岡崎前:1995年1月) そして、貴志川線…
仕事の関係で知合った南海電鉄の方から、貴志川線の車両交代についていろいろと教えて頂き、モハ1201形が1995年3月で引退することを知りました。戦前生まれの古豪もいよいよ見納めです。 1.モハ1241+モハ1234 (吉礼~岡崎前:1995年1月) この頃、私は広島の案件が一段落して大阪に出向く機会が多くなりました。この頃の関西近辺のローカル私鉄は、1994年3月末に野上電鉄が廃止となり、古い車両もめっきり減ってしまい、趣味的には行き詰まりを感じていましたが、なにはともあれ貴志川線のモハ1201形です。 2.モハ1241+モハ1234 (吉礼~岡崎前:1995年1月) 貴志川線にはたいてい午後…