広島市中区立町にあります中の棚商店街、 本通りではなくて、こっち通ろうかしらって気が向くままよく通ります。 とうかさんの帰り道も、中の棚のお稲荷さんにご挨拶もかねて通りました。 (このことは、一昨日にも書きましたね) 江戸時代、中の棚の前身である東魚屋町には、魚市場で赤御影石をいちめんに敷き詰めた通りがあったそうです。 花崗岩が多く分布されています広島ならではですね。 令和3年、中の棚稲荷神社の鳥居の下の参道に 「中の棚路面歴史モニュメント ととろじい」内に当時の出土した赤御影石を配置してあります。 中央のこの2枚ですかね。 このモニュメントが敷かれた令和3年は、たしかコロナの中、外出自粛中だ…
前橋と日本橋を、ばひゅんとね。
先日の火曜日(1月16日)に、U元副部長と二人で総本山へ今年の初御登山をして御開扉を受け戒壇大御本尊に新年のご挨拶を申し上げるとともに、自身の課題克服と友人そしてブログ読者の皆様の現世安穏・後生善処を御祈念してきました。午後から風が冷たく強かったですが好天に恵まれました。御開扉後は新年なので三師塔と日顕上人のお墓にお参り。そしてその後は今回は初めて大石寺にある池田家の墓に行ってみました。いままで知らなかったし興味もなかったのですが、池田大作が死んで池田家の5カ所あると言われている墓のひとつである大石寺の池田家の墓を確認しておこうと思い立ち行ってみました。池田家の墓は五重の塔の前にある大石寺墓地…
住所: 東京都渋谷区広尾4-1-22 アクセス:地下鉄 広尾駅から北西に500m。日赤医療センターの入口にある バスターミナル前の植込みの中に, 赤御影石製の背の低い石碑と, やはり赤い石で造られた地球儀のような球体のモニュメントが並んで建っている。(「発祥の地コレクション」より引用)
2023年 25cm×32cm 紙、鉛筆、水彩 多摩霊園にある岡本太郎の墓は赤御影石にブロンズ彫刻「午後の日」が載っています。向かいには母かの子と父一平の墓(それぞれ観音像と太郎作の彫刻)があり、その間(絵の右端)にはこの一家について書かれた川端康成の石碑が立っています。 「午後の日」をモチーフにしたレリーフを彫りたいと思ったので、師走の晴れた日に多摩霊園まで行ってきました。この作品は美術の教科書や資料集にも載っていますが、実際に観るとずっと立体的で、印象と違いました。写真だけでわかったつもりにならなくて良かったです。だからと言って、墓地でスケッチする人もあまりいないでしょうけど。
越前市岩本町岩本神社。北陸自動車道武生ICから県道262号線で東に10分程の権現山の麓にある五箇地区(不老・大滝・岩本・新在家・定友)と呼ばれる集落の岩本地区に鎮座します。来年の大河の主人公紫式部、生涯で唯一都を離れ、ここ越前で過ごしたことから、越前は大河ブームで盛り上がっている。岩本神社が鎮座する一帯の五箇地区は、越前和紙のブランドで知られ、地区を流れる岡太川を利用した和紙の生産地で、新在家には越前和紙の里や紙の文化博物館があり和紙の歴史や紙漉きの技術を発信しています。この地の紙漉きの歴史は古く、正倉院の越前国正税帳(730年)にも越前和紙が使われているという。その技術のはじまりは1500…
住所:東京都千代田区飯田橋2-1-1 アクセス:地下鉄・九段下駅から北に300m。目白通りの“飯田橋1丁目”交差点から“西神田”に通じる道路が, 首都高の下をくぐる手前の 北側歩道上に, 高さ2メートルほどの赤御影石の発祥碑が建っている。(「発祥の地コレクション」より引用)
2019年10月14日「新幹線電車発祥の地・記念碑建立」蕨工場の跡地正面に記念碑が建立された 芝園団地の場所は、かつて埼玉県北足立郡芝村と呼ばれていました。芝村は、昭和15年1940年に川口市に合併し、川口市芝となりました。一方、芝園団地の向い側が北足立郡蕨町でした。蕨町は64年前、昭和34年に蕨市になりました。 この場所で、敗戦から15年後の昭和35年に新幹線電車の設計が始まりました。 Q1 どうして記念碑を設置する場所が芝園団地なのでしょうか。 それでは、その歴史といきさつをご説明しましょう。 日本には、世界に誇れる技術がたくさんありますがその中で、開発されてから50年以上ずーと進化し続け…
幕末以降の日本が、安政の五カ国条約によって外国人居留地を開いた都市としては、横浜や神戸、長崎が良く知られています。 しかし、東京とともに大坂にもまた、居留地は置かれました。 今回は、大阪市西区川口に残された、旧居留地の跡を訪ねてみます。 大阪メトロ阿波座駅を降りて、本町通り沿いに西へ向かいます。 途中、「ざこばばし」と彫られた、橋の親柱が残っています。 雑喉場(ざこば)とは、天満の青物市、堂島の米市とならぶ魚市があったところです。 大坂は、水の都であり、八百八橋と呼ばれたほどに橋が多かった町。 ここには百間堀川に架けられた雑喉場橋がありました。 すぐ左手の江之子島には、明治から大正にかけてドー…