石原裕次郎・小林旭らと共に、日活の黄金時代を支えていた伝説的俳優。
アメリカの俳優、トニー・カーティスに似ていることから
「トニー」の愛称で親しまれていた。
また、和製ジェームス・ディーンと称されることも。
1939年生まれ。東京都出身。
商船大学を志望していたものの、受験に失敗。
成城大学へ進学後、日活映画のプロデューサーにスカウトされて、
第4期ニューフェイスとして日活に入社。
太陽の申し子のようにハツラツとしたキャラクターの石原裕次郎とは好対照に、
どこか憂いを感じさせるナイーブなキャラクターが、多くの人々を魅了する。
1961年の2月14日、日活の撮影所内でゴーカートの事故を起こし、
1週間後の2月21日に死去。享年21歳。
亡くなってから40年以上もの歳月がたつが、
デビュー当時からの根強いファンのみならず、
彼が亡くなってから生まれたような若い世代にもファンは多い。