考える信仰3 宗教そして信仰は一見、客観性を失わせるように見えるかもしれません。 というのは信仰を知らなければまず信仰については語れない。信仰者であれば信じているのだから客観的には語れないというような理屈になるのでしょう。 しかしここには大きな勘違いがあります。信仰が超常から日常まで教えられたとおりに信じ込むことだという勘違いです。 キリスト信仰の場合教えられるのは大方言葉でありそのまま思い込み信じこんでも信仰にはなりません。 言葉の意味する概念や情緒が誰にとっても完全一致するわけではありません。同じ言葉でも、厳密には、時と場合と人によって伝わる内容は異なります。人間にとって言葉は交流と理解の…