足利幕府第十三代将軍。1536年〜1565年
剣豪将軍として知られる。父は足利義晴。
足利幕府の力は衰えており、将軍自身も上位権力者と言うよりは幕府の実権を争うプレイヤーの一人に過ぎず、当時の実力者三好長慶との対立のためにしばしば京都を追われた。
京都帰還後は積極的に各地の大名間の争いを調整したり等、積極的に幕府威信の向上に努めた。しかし、長慶の死後、この動きを快く思わなかった松永久秀らによる攻撃を受ける。
義輝自身は塚原卜伝から奥義を授けられたほどの剣術の達人であったので、自ら刀を振るって敵勢多数を死傷したが、最後には討たれた。