《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info しかし、1973年になると鉄道による自動車輸送は大きく変化しました。 1972年には「アロー号」が1日25本も運転され、全国共通運用体制も整えられて多数のク5000が全国各地に新車を届け、年間79万台もの自動車を輸送していたにもかかわらず、この年から急激に輸送量が減少していきました。これは、自動車の需要が急激に落ち込んだというのではなく、自動車メーカーが新車の鉄道輸送を取りやめたのでした。 この原因は、国鉄の労使関係が急激に悪化し、ストライキによる輸送障害が頻発するようになったため、鉄道輸送の優位性の一つであった定時…