本文書は13ヶ条からなる軍律で、原本は未発見だが写が浅野家文書に伝わっているほか「家忠日記追加」などの記録類にもほぼ同文の箇条が書き写されており、「東照宮御実紀」(徳川実紀)にも軍令が下されたとあることから、この軍律が小田原攻めにおいて発せられたことは確かであろう*1。これまで採り上げた禁制は郷村や寺社に「保護を約束」したものであるが、この軍令・軍法・軍律*2は家康から末端の兵士に充てて発せられたものである。 従来は掠奪の客体である郷村や寺社に「安全の保障」を約束する*3「消極的な」対応に留まっていたのに対して、軍律の発令は掠奪の主体たる兵士に禁止行為を周知徹底させるという「積極的」対応に切り…