軍港を中心に発展してきた港湾都市のこと。
『呉花街案内』に関するコラム。従業員の女性426人分の個別データが掲載されている所が最大の史料的価値であるとしている。 『呉花街案内』とは 呉市で1935(昭和10)3月から5月にかけて開催された「国防と産業大博覧会」の会期に合わせて発行されたB6の書籍。タイトルに示されるごとく「花街」をクローズアップした異色のガイドブック。 歴史的意義 呉のみならず近傍の音戸、広、そして吉浦の紹介もあり、それぞれの花街の歴史や当時の概況を知ることができる。 「呉市の料理屋案内」ならびに「呉市の旅館案内」 市内の主要な料理屋と旅館の立地を復元する上で、大いに参考になる。 料理屋案内の方には「呉藝妓協同組合関係…
軍港都市には遊興空間が存在し、そこは消費の局面では空間的に分化しており、海軍の社会性が刻み込まれていた。 はじめに 第1節 軍港都市の遊郭 (1)『全国遊郭案内』における軍港都市 (2)遊郭の立地と景観 (3)私娼街の問題 第2節 軍港都市の花街 (1)遊郭との比較から (2)海軍士官の不文律 (3)海軍と料亭 (4)Sプレイとストップ 第3節 遊興の空間的分化 地理的には一体性を有する軍港都市呉の遊興空間 消費の局面では職種や位階に応じて差異化・分化する軍港都市呉の遊興空間 おわりに はじめに 軍港都市の定義 鎮守府ならびに海軍工廠の設置を端緒として、固有の空間編成が生産された、軍事に特化し…
本稿の趣旨 敗戦後の呉市は海軍依存からの転換を目指し企業誘致と産業育成に努め成功したが、冷戦により再軍備への忌避感が無くなると軍港都市のプライドを取り戻した。しかしそれは再び海軍に依存していく契機となり、失われた30年により製造業が衰退すると呉市は観光資源として海軍遺構に依存を深めている。 【menu】 はじめに 第1節 旧海軍関連施設の産業活用について 第2節 国への働きかけ 第3節 特別立法の実現に向けて 第4節 GHQへの諒解工作 第5節 「旧軍港都市転換法」の制定 おわりに はじめに 軍港都市呉の形成 呉市は軍港都市としての機能を備えるべく、都市整備や経済活動を市民が自発的に行うことに…
本稿の趣旨 『呉市主催国防と産業大博覧会誌』を中心に「国防と産業大博覧会」の概略と特徴を述べる。 以下、本文内容まとめ 「国防と産業大博覧会」は戦前呉の一大ページェント 1935年3月27日から5月10まで二河公園と川原石海軍埋立地を会場に開催された 45日間の会期中に70万人の来会者をみた 開催の経緯 1933年4月、呉商工会議所が博覧会開催促進委員会を設立。8月に博覧会開催陳情書を呉市長に提出。 当初は「三呉線開通記念博覧会」と呼ばれた。 ←開催時期が三呉線全通の時期に想定していたから。早くて35年5月、1年延期して1936年春とする意見もでていた。 三呉線全通記念を捨て「国防と産業」を選…
本稿の趣旨 呉海軍工廠において進水式は呉市全体を挙げた一大ビッグイベントであったが、情勢緊迫化で進水式の公開は秘匿化された。 内容まとめ 進水式のイベント化 「式場内では、記念絵葉書販売や臨時郵便局での記念スタンプ押印なども行われたが、式典は、おおむね当日の午前中だけで終了してしまうものであった。にもかかわらず、進水式は軍港都市全体で盛り上がりを見せる臨時イベントとなっていた。」(233頁) 呉海軍工廠(1903-1945)と進水式 呉海軍工廠では、前身の呉海軍造船廠時代(1897-1903)も含めると135隻の艦船が進水。 工廠での進水式は日本海軍では広く市民一般に公開されていた。 進水式参…