新潟県長岡市の旧越路町に、朝日酒造という大きな酒蔵があります。久保田や朝日山が有名な商品でしょうか。その本社屋のすぐそばに、創業者が建てた見事なお屋敷があります。 訪問:2023年11月 松籟閣の入り口 本社屋のすぐ横に、立派な構えのお屋敷があります。こちらが松籟閣の入り口です。松籟閣は朝日酒造の創業者、平澤與之助が建てた住宅で、完成は1934年。もとは少し本社屋側(左のほう)にあったようですが、2001年に曳家で移築、その後2018年に重要文化財になりました。基本的に4月から11月の月水金土しか開いていないようなので、見学の際には注意ですね。 中に入るとさっそくおもしろい光景が見えてきました…
地域住民のための施設として、公会堂は多くの地域にあります。公的で町の中心的な施設である公会堂は、外見も立派なことがよくありますが、今回行ってきた新潟県柏崎市にある旧公会堂もそんな建物のひとつです。 訪問:2023年9月 柏崎公会堂 外観 柏崎市の中心地から少しだけ離れた住宅街に塔付きの立派な建物があります。こちらが喬柏園とも呼ばれた旧柏崎公会堂。現在は市民活動センターとして開放されています。 奥のほうもきれいになっていますが重厚な雰囲気があります。鉄筋コンクリート造の地上2階(一部3階)の建物で、塔屋と地下室があります。完成した1938年当初は壁が白く、"白亜の殿堂"と呼ばれていたそうです。 …
実は新潟県は石油や天然ガスなどの採掘が盛んな土地でして、それで財を成した方もいました。今回はそのうちの一人が新潟市に建てた、使われることのなかった迎賓館を見てきました。 訪問:2022年9月 砂丘の上の迎賓館 新潟市中央区、新潟大学附属病院が建つ丘の上に、新津記念館は建っています。お城のような門と塀の奥に、大変立派な建物が見えていますね。 門をくぐると全貌が見えてきました。タイル張りでこれぞ近代建築と言った外観。竣工は1938年で、地上三階・地下一階の鉄筋コンクリート造の建物です。建設したのは新津恒吉という人物で、石油の採掘が盛んだった現在の出雲崎町に生まれ、石油の精製と販売によって財産を築き…
新潟市中央区、昭和大橋のたもとには新潟県政記念館があります。この建物は明治時代に建てられた県会議事堂なのですが、耐震改修工事のために令和4年12月から令和10年の3月末(!)まで閉館となっています。それが今年の10月1日に特別に公開されるということで見てきました。 訪問:2023年10月 新潟県政記念館 正面 昭和大橋の北詰め、新潟市役所がある方面に大きな洋館のような建物があります。ここが県政記念館、新潟県議会旧議事堂(重要文化財)です。この時代の県会議事堂が現地に現存するのは国内でここだけだそうです。 真正面から見るとそれは立派で…1883(明治16)年3月に完成したというので、今年で140…
宝塚・雲雀丘にある安田邸。大正10年建築で宝塚市の所有ですが、屋根が傾き朽ちて、天井に穴があいて空が見えるところもあるそうです。老朽化はげしく、維持していくにはもう待ったなしの状況です。 宝塚市も必死で運営してくれる事業者を探しているそうですが、改修だけで億単位かかるうえに、第一種低層住居専用地域のためできることも限られてくることから、なかなかここを修繕して(収益)事業しようという法人が出てきていないのが現状だそうです。 事業者が出てこない・・・ということで目を背けていてはこの大正時代の貴重な洋館が取り壊し、解体ということになり、二度と復活することはありません。そうなるとここにマンションが建ち…
皇居と丸の内オフィスビルに囲まれたエリアにある 一際目を惹くこの建築。 (謎に車移動中に撮った写真しかなくて (‾ ‾ړ;)) (見にくくてまじごめんなさいって謝りたい←) この明治生命館、 設計は建築家 岡田信一郎氏によるもので 1934年竣工の美しく力強いオーダーが印象的な 古典主義様式の建物です。 [別の日、別アングルから。再び助手席から撮影] 石造り(花崗岩)の重厚感とアーチ、 クラシカルな街灯からも西洋の雰囲気が漂っていて エッジに施された繊細な装飾やアカンサス模様、 窓のグリルのディテールまで美しいのです。 内部も公開されているので興味ある方はぜひ ^^ ・★・★・★・★・★・ 昨…
秋とは思えない暑さのもと、大阪に行ってきました。 大阪市バスに乗ってたどり着いたのはアート展。 趣味で絵を描いている母が、「ペントハウスの会展」に出品しているので見にいったのです。 入り口。 この床、いい雰囲気出してますよね。 会場となった大阪府立江之子島文化芸術創造センターは、昔、大阪府庁だったんです。 この碑の1番上の字が「旧」。 つまり「旧大阪府庁」と記された碑が入り口手前にありました。 「西町奉行所」からここに移転したとのこと! 時代劇に出てきそうな名前を見てちょっと興奮。 明治から大正にかけて約半世紀、大阪府政の中心地だったこの場所、今は文化の発信地になっています。 部屋に入ると正面…
聖パウロカトリック教会 撮影:2023.07.02 建築情報 名称:聖パウロカトリック教会 用途:宗教施設 建築:昭和10年(1935) 設計:アントニン・レーモンド(Antonin Raymond)
本所相生署の一番長い日 横網町公園 東京都復興記念館 警察手帳 撮影:2023.08.23 東京都復興記念館に展示されている警察手帳。陸軍被服廠跡で発見された身元不明の焼死体にあったものです。この手帳により、焼死体は河本巡査部長であることが判明しました。 関東大震災が発生した日、その始まりは、いつもと変わらない日常から始まっています。今回は震災時、本所相生警察署の動きを複数の文献から追うことで、関東大震災の過酷さを追体験しようと思います。
はじめに この記事を、100年前、我が国の有史史上最悪とも呼ばれる自然災害に直面した、全ての人々に捧げます。 前回の記事は横網町公園の歴史について紹介していきました。ここからは、横網町公園の整備方針に深い関係がある関東大震災に焦点を当てたいと思います。 今までの記事で述べた通り、横網町公園が整備される前、被服廠跡と呼ばれた更地に避難していた約38,000人もの人々が火災により亡くなっています。なぜこれほどまでに甚大な被害となってしまったのか、調べられる範囲で確認していきたいと思います。
今度は北国西街道。この道も中山道から北陸道を結ぶ街道。またの名を善光寺西街道、いやこちらも善光寺街道とも呼ばれてるようで、かなり混乱してきました。信濃は山あいを通るので、都市部に向かうのはいろいろなルートがあったのでしょう。北国西街道稲荷山宿、地域の観光案内では「旧街道蔵のまち 稲荷山」と紹介されています。江戸時代においては北国西街道(善光寺街道)の最大の宿場町として栄え、明治以降は生糸と絹織物の商いの町として栄えたと。では現代はどうでしょう?まずは古を知るために資料館へ。 なるほど。ここで地図を入手して散策です。車もここの駐車場に停めさせてもらっています。 では江戸の痕跡を探します。本陣跡で…
今回は構想段階で没にしたり、制作を途中で断念した作品の一部を紹介します。 国鉄C62形蒸気機関車 「シロクニ」の愛称で親しまれ絶大な人気を誇る蒸気機関車です。 松本零士作の漫画「銀河鉄道999」に登場する銀河鉄道超特急999号の牽引機もこの車両です。 東海道線などの主要幹線の優等列車牽引に使用され、狭軌(線路の幅が1607mm)を走る蒸気機関車としては世界最速の129km/hを記録しました。 京都鉄道博物館やリニア・鉄道館で実際に見たことがありますが、とにかく大きく主動輪が1750mmと日本最大級なこともあって静態保存されていても蒸気機関車の力強さを感じることができました。 初めての蒸気機関車…
今回も「妻木頼黄」設計の建築を見ていきましょう。神奈川県中区南仲通、みなとみらい線「馬車道」駅が最寄りの「神奈川県立歴史博物館(旧神奈川正金銀行本店本館)」です。 みなとみらいにあるスコア協議会員の法人さんを訪問した際に寄り道をしてきました。 妻木頼黄の設計した建物の中で、現存するものとしては代表する作品ではないでしょうか。明治時代の建物で、関東大震災でドームなどが焼失しましたが、1964(昭和39)年に復原されたそうです。 見ての通り外装は装飾で彩られていますが、内装はシンプルで質実剛健といった作りです。 正面入り口のはす向かいには、「木下益治郎(きのしたますじろう)」設計の「馬車道大津ビル…
この建築を理解出来なければ建築家の道は諦めよう、そう悲壮な覚悟を持って挑み訪ねた建築の一つがこの『サヴォア邸』だった。訪ねたのは随分以前の初冬、パリ近郊の住宅やら学校のある閑静なポワシーの町を歩き芝生に迷い込んで出会う。一人で対峙し終日向き合うと覚悟していたのに、そこには近所の保育園児が散歩で来ていて、それはそれは大騒ぎであった。何だよ?それ!日を改めるか?などと思いつつ、彼等が過ぎ去るのを待とうと外観をスケッチし始め、つい、彼等一行を描いてしまった。実は、その彼等には心から感謝している。先輩から聞いていた番人の女性、おそらく間違いなく同じ人がエントランスには居て、入場料を払ったのだと思う。2…
(写真)中津市立小幡記念図書館。 2024年(令和6年)3月、大分県中津市を訪れました。「中津市の映画館(1)」「中津市の映画館(2)」に続きます。 ayc.hatenablog.com ayc.hatenablog.com 1. 中津市立小幡記念図書館 1.1 図書館の歴史 1.2 郷土資料 1. 中津市立小幡記念図書館 1.1 図書館の歴史 中津における図書館の歴史は、1909年(明治42年)に開設された中津図書館に遡ります。慶應義塾の社頭を務めた 小幡篤次郎 - Wikipedia が土地・建物・蔵書を寄付して開館した図書館であり、1912年(明治45年)には財団法人小幡記念図書館と改称…
2015年のコソヴォ旅行記です。グラチャニツァ修道院を見に行きました。 グラチャニツァ修道院 外観が魅力的! セルビア正教建築様式、第2バージョン セルビア・ビザンティン様式建築の中でも変わっている そのほか敷地内の様子 プリシュティナの街並み コソヴォ出国 グラチャニツァ修道院 グラチャニツァ修道院は首都プリシュティナから10キロほど。タクシーで15~20分くらいのところにあります。 この修道院はかなり広い敷地が塀で囲まれてました。塀の上にはやっぱり有刺鉄線。 この塀の外の道路向かいあたりに柄の悪そうな若者がたむろってて、観光後、タクシー待ち時間の際に大声でなんか叫ばれたりしました。内容とか…
飲酒歴40年、断酒歴8年と2カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル65。 本日もリスボンの、こんなにうれしくていいんでしょうか・ノープラン・ブログ、 ご訪問ありがとうございます。 昨年の11月くらいに知り合ったヴォーカリストの A さんにいい意味で振り回されています。 今日も、A さんが出演するライブ・イヴェントに、バックバンドの一員としてい参加してきました。 A さんをあえてジャンルに押し込めるとすれば、 Jポップをメイン・レバートリートするポップス・ヴォーカリストということになります。 僕はジャズ・ピアニスト、ヴォーカリストですので、 畑違いといえば畑違いですが、 でも A さんに引っ張り…
神戸の市街地は海と山の景観に恵まれ、異国情緒にあふれ、その美しさは多くの人が讃えるところである。しかし、その神戸の市街地の景観を損なっている最大のものは、高層ビルでも、タワーマンションでもなく、阪神高速道路3号神戸線であろう。現在の神戸の景観上の最大の課題は、港から見る六甲山の稜線や、ビーナスブリッジから見る大阪湾の水平線をいかに守るかではない。それは、間違いなく、市街地と港を分断する阪神高速道路の存在だと考える。この付近を歩くとき、高速道路の高架は、人々にかなりの圧迫感を感じさせる。特に阪神高速道路は高さも低く、目の前に長大な壁のように立ちはだかり、頭上すぐに覆い被さるようで、これがなければ…
外壁は近代建築そのまま残して利用してますが、内部はすっかり別もんのビルが収まってるって感じです。 海岸ビル 地下鉄海岸線みなと元町駅と同じような利用の仕方です。 海岸ビル 此処の15Fには我家御用達の「梅の花」て言う湯葉と豆腐の会席料理が味わえるお店が入居してます。
(写真)竹田市の町並み。 2024年(令和6年)3月、大分県竹田市(たけたし)を訪れました。「竹田市立図書館を訪れる」「竹田市の映画館」に続きます。 ayc.hatenablog.com ayc.hatenablog.com 1. 竹田市を訪れる 1.1 竹田市の町並み 2. 竹田市の和風建築 2.1 山本屋種苗店 2.2 姫野一郎商店 2.3 竹田市の蔵 3. 竹田市の近代建築 3.1 谷川時計店 3.2 三宅洋服店 1. 竹田市を訪れる 竹田市は大分県の内陸部にある人口約2万人の自治体。大分駅と熊本駅を結ぶJR豊肥本線の沿線にあり、竹田市からさらに西に向かうと熊本県の阿蘇地方です。 豊後竹…
4月12日は、「日本初の女性建築家」といわれる浜口ミホ(1915~1988)の亡くなった日です。 彼女の代表作は、1950 年代に開発され大量につくられた、公団住宅(団地)のキッチンです。 当時の台所は一般に「日当たりの悪い、女中の仕事場」という位置づけでした。しかし当時の最先端である日本住宅公団の設計では、台所は南側で、食事で家族が集う「家の中心」であり、ステンレス製シンクなどの最新設備を備えていました。 この「ダイニング・キッチン」の設計を、浜口は主導しました。その設計は、のちの台所に多大な影響を与えました。現代の日本のキッチンの原型をつくった、といえるでしょう。 当時の建築界は完全な男社…
えへん。みなさま、こんにちは。いやぁ、ついに獲りましたね。万城目学さんの『八月の御所グラウンド』が!え?先に自己紹介を?ハイハイ、ちょっと興奮しちゃって。では、改めまして。 派手な柄シャツを着た太目のおじさんにしか見えないと思うけど、これでも私、縁結びの神でございます。あ、ご存じ?いや、嬉しいなぁ。そう『パーマネント神喜劇』*1でね、まぁ主役っていうか、私の日々のお勤めの様子なんかを万城目学さんに書いてもらったものだから、ええ、浅からぬ縁というかね。それで、此度の第170回直木賞受賞に際して、私も何か喋れ、なんてことになったわけで。 何か喋れってね、やっぱりまずは作品のことでしょ。この本には2…
辰野金吾は明治を代表する建築家である。彼は嘉永7年(1854)に佐賀県に生まれる。工部大学校(東京大学工学部)の第一期生として入学し、ロンドン出身の建築家ジョサイア・コンドルに学び、明治12年(1879)に卒業した。英国に留学し、バージェス建築事務所、ロンドン大学で学んだ。明治17年(1884)にコンドルが退官したあと工部大学校教授に就任した。明治31年(1898)に帝国大学工科大学学長に、明治35年(1902)に工科大学を辞職した。明治36年(1903)に葛西萬司と辰野葛西事務所を開設した。大正8年(1919)にスペイン風邪に罹患し、64歳で亡くなった。辰野金吾が最も設計したかった建物は、お…
神戸の旅記録です。前回は南京町まで散歩しました。 wakana16.hatenablog.com ココミル 神戸(2023年版) 南京町からJR元町駅まで歩き、JR舞子駅で下車。 徒歩で本日の宿「舞子ビラ」に荷物を預かってもらい、身軽になって海へ! 明石海峡大橋が舞子と淡路島を結んでいます。大きくてかっこいい! この一帯は兵庫県立舞子公園。 日本で唯一の孫文記念館があります。現存する日本最古級の木骨コンクリートブロック造りの楼閣。 別名、移情閣といって、建物自体も、室内の中国との関わりを示す展示物も興味深かったです。 大正時代を感じさせるデザインの暖炉とタイル。 天井を見ると八角になっているこ…