【平家物語77 第4巻 厳島御幸①】 治承四年正月一日、法皇の鳥羽殿《とばどの》には、 人の訪れる気配もなかった。 入道相国の怒り未だとけず、 公卿たちの近づくのを許さなかったし、 法皇も清盛をはばかっておられたからである。 正月の三日間というもの、 朝賀に参上するものもいなかったが、 僅かに桜町中納言とその弟左京大夫脩範 《さきょうのだいふながのり》だけが特に許された。 正月二十日は東宮の御袴着《おんはかまぎ》、 ついで御魚味初《おんまなはじめ》というので、 宮中はめでたい行事で賑ったが、 落莫《らくばく》とした鳥羽殿の法皇には ほとんど別世界の出来事のように思われた。 そして二月二十一日、…