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迫水久常

(一般)
さこみずひさつね

迫水久常 1902-1977
鹿児島市に生まれる。府立一中(現・日比谷高校)を経て、大正十五年東京帝大法学部を卒業して大蔵省に入省。
各地の税務署長を勤めた後、昭和九年(1934)岡田啓介首相の秘書官となり、十一年二・二六事件に際し首相官邸から岡田を救出するのに貢献。
大蔵省理財局金融課長・企画院第一部第一課長・大蔵省総務局長・同銀行保険局長などを歴任、革新官僚として知られる。
昭和二十年鈴木貫太郎内閣の書記官長に就任し、終戦工作に奔走、終戦詔書の起草に参画。
翌年公職追放、一時実業界に身を置き、昭電疑獄事件に連座したが無罪。
追放解除とともに政界に入二十七年鹿児島一区から参議院議員に当選、以来現職のまま没するまで参院当選四回。自由党から自由民主党に所属、三十五年第一次池田内閣時に国務大臣・経済企画庁長官、翌年第二次池田内閣に郵政大臣に。党内では副幹事長・政務調査会副会長・参議院自民党幹事長などを歴任、参議院における自由民主党の中心的存在だった。昭和五十二年死去。七十四歳。
 出典;『日本近現代人名辞典』(吉川弘文館、2001年)467pより抜粋要約。

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