後鳥羽院によって建仁元年(1201)に催された『千五百番歌合』で、十代最年少の専門歌人として臨んだ宮内卿が、藤原俊成以下の高名な歌人30人に伍して出詠。勝29、負26、持(引き分け)36の堂々たる成績で初舞台を飾った事は先回に延べた。 しかも、宮内卿が初舞台で競った相手は、後鳥羽院が『新古今和歌集』撰集のために建仁元年(1201)7月に設置した和歌所寄人のトップバッターに指名され、続く同年11月には勅撰の宣旨を下して選ばれた6人の撰者の1人の寂蓮であり、 うすくこき野辺の緑の若草に 跡までみゆる雪のむら消え を詠じて、勝利する大番狂わせを演じたばかりではなく、この歌によって後々まで 「若草の宮…