どうも。桜井圭介といいます。今日は、「宮沢章夫の身体論」ということでお話したいと思います。で、最初にお断りしておかなきゃいけないのはですね、僕、最近はダンスにかかわる色々をしてるんですが、92年の『ヒネミ』から《遊園地再生事業団》の舞台の音楽をほぼ毎回作ってきました。宮沢さんとご一緒した仕事は、87年《ラジカル・ガジベリビンバ・システム》のアルバム(『大竹まことの「文芸春秋」』)以来、さらに遡って個人的なお付き合いは83年からになります。当時、僕は例の原宿ピテカントロプス・エレクトスの企画室に勤務しておりまして、そこに桑原茂一企画の《ドラマンス》の作家として宮沢さんが登場したわけです。僕は23…