1644年から1873年までの230年間、禁教の時代を文字通り潜伏して生き抜き、明治になって禁教が解かれたときにカトリックに復帰した信者たちを「潜伏キリシタン」、一方で、カトリックに復帰せずに潜伏期以来の儀礼や行事を守ってきた人たちを「かくれキリシタン」といいます。 寿安堰の生みの親として、胆沢平野の開墾に大きな功績を残した後藤寿庵。寿庵は、慶長17(1612)年から元和9(1623)年までの12年間、現在の水沢市と胆沢町の一部の領地を治めていましたが、水不足に苦しむ領民の姿を見かね、私財を投じて胆沢川の水を引く用水堰の開削に尽力します。しかし、熱心なキリスト教信者だった寿庵は、年々厳しさを増…