『ギャグ漫画日和』より この記事では奈良時代に倭から派遣された使者が隋の煬帝に宛てた文書を読んで煬帝が怒ったという『日本書紀』の逸話を解釈してみたいと思います。 「日出ずる処の天子」とは? なぜ隋の煬帝は激怒したのか? なぜ天子を名乗ったのか? 「日出ずる処の天子」とは? 日本史の教科書で目にする「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という有名な一文があります。 『日本書紀』によれば、600年から618年にかけて、推古天皇は5回の使者を「隋」に派遣しました。このうち、607年の第2回遣隋使は『日本書紀』にも記録があります。小野妹子(おののいもこ:男性)が正 式な使者として派遣され、時…