妻問夫招婚の縄文母系制社会論について、私は記紀や風土記に書かれた大和朝廷に先立つスサノオ・大国主一族の建国から出発しました。 まず、その経過を振り返りながら、縄文母系制社会の妻問夫招婚がスサノオ・大国主の百余国の「委奴国」から大和朝廷さらには鎌倉時代まで続いていることを明らかにしたいと思います。 1.『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』より 『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(梓書院)や「『古事記』が指し示すスサノオ・大国主建国王朝」(『季刊 日本主義』18号2012年6月)などにおいて、スサノオ・大国主7代の建国について、特に大国主が…