生没:1624年 - 1662年
中国明〜清代の軍人。元の名(諱)は森。字は明儼。日本での幼名は福松。
日本の平戸を拠点に活躍する海商の頭目・鄭芝竜と日本人女性の田川松の間に生まれる。
生来頭脳明晰で、父の強い希望により、科挙合格と文官官僚への道を目指すが、明滅亡により「反清復明」を掲げて、生涯を清との戦いに捧げた。
亡命政権の一つである唐王朱聿鍵(隆武帝)に謁見した時、その容貌・挙措がいたく気に入られ、国姓である朱姓を賜るが、畏れ多いと朱姓は使わずに鄭成功を名乗ることになった。
これ以降、鄭成功は国姓爺(爺は老人の意味ではなく、旦那とか大人などという意味)と呼ばれるようになった。
ちなみに近松門左衛門の人形浄瑠璃作品の一つである「国性爺合戦」は、鄭成功をモデルとして作られたものである。