のざらしをこころにかぜのしむみかな 貞享元年(1684)8月の作。『甲子吟行』(別名『野ざらし紀行』は、掲句に因む)の旅へ向かう門出の句。天和の大火によって深川の芭蕉庵は類焼し、甲州に避難していた芭蕉は、この前年の冬、門人・山口素堂らの支援によって再建された第二次芭蕉庵に入っている。しかし、一年も経たないうちに伊賀上野への帰郷も兼ねた旅に出かけることになる。江戸に東下して、貞門と談林の思潮に触れて、とりあえず、いわゆる「虚栗調(漢詩文調)」という帰結を見る。しかし、『虚栗』の跋で芭蕉が記しているように、俳諧の文芸的本質は、漢詩や和歌と通底するものがあるが、俳諧にはそれに加えて独自の通俗性が必要…