横浜野毛の街から野毛坂を上り、横浜市立図書館の建つ角を左に折れた所にある公園。
この一帯はかつて原善三郎や茂木惣兵衛といった明治期の横浜の豪商が邸宅を構えていた場所だったが関東大震災によって壊滅、その後の復興事業として旧野毛山貯水池や病院などの跡地とともに公園として整備されたもの。山下公園や神奈川公園などとともに震災からの復興事業の一環として公園整備が行われたもので、野毛山公園は日本庭園・西洋庭園・折衷庭園の三つの様式を持つ公園として1925年(大正14年)に着工、その翌年に開園している。
第二次大戦中はこの場所を陸軍が使用し、戦後は1947年(昭和22年)まで米軍に接収されていたが、接収解除後の1949年(昭和24年)に日本庭園だった部分に動物園(野毛山動物園)が、さらに1951年(昭和26年)には洋式庭園だった部分に児童遊園が造られ、整備を加えられながら現在に至っている。