李珍景が『金時鐘、ずれの存在論』(2019)で議論している「生死」を賭けることと「存在」を賭けることの差異について引用紹介です。ちなみに「死への先駆」はハイデガー『存在と時間』に出てくる言葉です。 「生の真実性とは「存在を賭けること」であると述べたが、「存在を賭ける」とはいったいなにか? しばしば言われるように命を賭けることか? そうかもしれない。しかし、命を賭ける術を知らない者や「死へと先駆」できない者たちを生の真実性から排除し、心を打つが限りなく狭苦しい英雄的観念によって存在と生を制限してはならない。じっさい「多くのことを考ると」命を賭けにくくなる。論理的に同値である命題を逆からいえば、命…