釜本邦茂

(スポーツ)
かまもとくにしげ

サッカー選手・監督。元参議院議員。

生年月日 : 1944年4月15日生まれ
出身地 : 京都
元サッカー日本代表
現役所属チーム : ヤンマー
ポジション : ストライカー(FW)
最終学歴 : 早稲田大学商学部
日本代表得点数 : 240試合157点。
日本リーグ得点数 : 251試合202点。
メキシコオリンピック銅メダリスト
ガンバ大阪初代監督
スポーツ議員連盟常任理事
財団法人日本サッカー協会副会長
JAWOC(2002年FIFAワールドカップ日本組織委員会)理事
日韓議員連盟幹事
2002年ワールドカップ推進国会議員連盟常任幹事
大阪市スポーツ振興審議会委員
趣味 : 読書・ゴルフ(ハンディ15)

府立山城高校で、1960年熊本国体優勝、1962年1月には選手権準優勝に輝く。同年4月には日本ユース代表に選ばれ、第4回アジアユース大会に出場。

1963年に早稲田大学第二商学部入学。関東大学リーグで優勝を果たし、この年を含め4年連続得点王。日本ユース代表主将として第5回アジアユース大会にも出場。
1964年・1967年、天皇杯優勝。
日本代表として、東京オリンピック出場。1得点。

1967年4月、ヤンマーに入社。

1968年、メキシコオリンピックでは7得点を挙げ得点王に輝くと共に日本の銅メダル獲得に大きく貢献。

1969年1月天皇杯で決勝ゴールをあげ、ヤンマー初優勝。
6月、ウイルス性肝炎でW杯予選は欠場。

1970年3月、日本代表に復帰。

1971年、日本リーグで初優勝。

1973年5月、西ドイツW杯予選に出場。

1974年10月、日本リーグ対三菱戦で、リーグ通算100得点を達成。

1975年1月、天皇杯で優勝。日本リーグ優勝と合わせ初の二冠に輝く。

1977年9月、ニューヨーク・コスモス戦を最後に代表引退。*1

1978年2月、選手兼任監督に就任。

1980年12月には世界選抜の選手として、ユニセフ慈善サッカー大会(スペイン)に出場。


1984年2月13日、現役引退を発表。8月25日、国立霞ヶ丘競技場で引退試合。*2
1985年引退。1年間は監督に専念。

退団後はサッカー教室の運営し、関西テレビのワイドショー番組のキャスターを経て、
1991年、Jリーグの発足に合わせガンバ大阪の監督に就任。
1994年退団。


1995年から2001年まで参議院議員を1期務めた。
1996年、日本サッカー協会理事に就任。

1998年7月、日本サッカー協会副会長に就任。

1999年7月、同協会の2002年強化推進本部長に就任。

2000年7月、労働政務次官就任。2002年強化推進本部長を辞任。
2001年、参議院選挙での落選後に日本サッカー協会副会長を辞任。
2004年7月、日本サッカー協会副会長に復帰。



2005年第1回日本サッカー殿堂入り。

*1:机の角に足をぶつけたことがきっかけで日本代表を退いた

*2:ヤンマー対日本リーグ選抜、観衆60000人、ペレ・オベーラトも出場

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