宇曽利湖 恐山から釜臥山へ恐山を後にしたわたしがどこへ向ったかといえば仏ヶ浦である。恐山と仏ヶ浦は一対で考えなければならない、と聞いていたからだ。本来なら恐山からは、山中を西の方角に歩いて仏ヶ浦に至ることが中世の優婆塞(うばそく)のしきたりだったようなのだ。しかし江戸時代にはもはやその道は消え失せていた。役行者ならいざ知らず、ろくに登山の経験もないわたしには無理というもの(冒険家なら試みる価値があるかも)。なので朝に恐山を立ち、釜臥山を経て大湊へ出てその地で一泊、翌日にバスで脇野沢村へ、そこから船で仏ヶ浦へ行く計画を立てていた。ところが事はそう簡単ではなかった。無鉄砲なわたしは、ろくな地図も持…