→釧網本線
斜里から分離し小清水の一部を併せて独立した上斜里が名称変更して清里となった。 昭和30年の町制施行の際、斜里と小清水を一文字ずつ取って清里町にしたという。 清里はインフラ整備が和人入植や独立運動に大きく関わっている。 初の和人定住者・塚本伊勢太は釧路道路の野川駅逓の管理人を経て神威10線21号に入地した。 殖民地区画が曙光を浴びたのも、野川道路の建設を要因としていた。 また斜里から独立した背景には昭和6年の釧網線全通により入植者が増加したことにあった。 北海道は近世から和人が進出したがそれは沿岸部だけで内陸部へ入ることができなかった。 道路や鉄道などが整備されたことで初めて、人口が定着していっ…
2024年、国立公園指定90周年を迎える阿寒国立公園。当初は阿寒湖だけが国立公園に目されていたが、屈斜路湖・摩周湖も同時に阿寒国立公園に内包されることとなった。日本における国立公園の歴史は、大正9年(1920)に田村剛が内務省衛生局の嘱託となり、翌年から調査を開始したことに始まる。結論をあらかじめ述べれば、釧路管内をあげて国立公園調査会委員を大々的な招待旅行に誘致し成功を収めたことが、屈斜路湖・摩周湖が阿寒湖と共に国立公園に指定された要因である。昭和初期に国立公園指定運動は大きな盛り上がりを見せるが、釧路管内は一丸となって、阿寒湖だけでなく屈斜路湖・摩周湖を加えるように働きかけ、その一環として…