佐賀県立名護屋城博物館(2019年8月31日午後撮影) 名護屋城は、秀吉の時代の朝鮮出兵の最前線の基地として建てられました。 1592(文禄元)年の開戦から秀吉の死で諸大名が撤退するまで、7年の間大陸侵攻の拠点となりました。 名護屋城の面積は約17ヘクタールにおよび、当時では大坂城に次ぐ規模だったそうです。 周囲には130以上に上る諸大名が集められ、それぞれが陣屋を構え、武将マニアが涙を流して喜びそうな一帯となっていました。 全国から20万人を超える人々が集ったとされています。 名護屋城博物館は、その跡地に日本列島と朝鮮半島との交流史を中心に文禄・慶長の役や名護屋城、朝鮮半島の文化、東松浦地域…