丸いものを三角と言ったり、三角を四角と言い切ったりする、そういう観念論を振りかざす人種から離れて生きようと思ってきた。 左でも、右でもなく、中庸を行きたいと意識してきた。 八月になると心がおちつかなくなり、靖國神社へ行く。 戦争で亡くなった人たちに自分が行っていることは、ただそれだけである。 こんな暑いときに戦争はおわったのかとおもう。 おおくの可能性をもった若い人たちがたくさんなくなっていったことは、どう考えをめぐらせても、無念であったにちがいない。 無念の思いは、まだ、空中に浮遊している。 現在自分が生きているのも、それらの人々が礎(いしずえ)となってくれたからと信じている。 兵士として戦…