第9代の天皇。 稚日本根子彦大日日天皇、若倭根子日子大毘毘命とも。
大日本根子彦國牽天皇(孝元天皇)の第二子。母は鬱色謎命、穂積臣遠祖-鬱色雄命の妹なり。 子は、御間城入彦五十瓊殖天皇(崇神天皇)、産湯産隅命、彦坐王。
大宮通りから入れるのだとばかり思ってたら・・・三条通からしか行けないのか!! ホテルフジタ奈良の西横の通路を・・・(この右の建物がホテルフジタ 宮跡:率川(いさがわ)神社の直ぐ北に・・・ 率川神社が第9代開化天皇の宮跡と見なされています。(順路的には一番最初に寄ってます) 開化天皇春日率川宮跡 本殿横のこの木が気になって木の画像ばかり撮ってた!クロガネモチナノカまでは不明だが モチノキ系の木だとは思う。数日前に見てきた神武天皇社のも たしかこの木だったと思う 御朱印取り忘れて 率川神社に戻ったのに、宮跡碑がどこかにあると思うのだが取り忘れてるw これで欠史八代の天皇陵・宮跡はAllComple…
2023 弥生 16日 西成ドヤから大和の旅 ソノ2大和三山 Google mapThank You B.あすかの湯 C.月の誕生石 □ワクワクの大阪の鉄路 東京の鉄道の難しい所は地下鉄がらみ。相互乗り入れの多さと乗り換えと出口の謎。 対して、大阪の場合は私鉄とJRの使い分けがよそ者にはよくわからない。(地下鉄は乗り入れがないぶん、ほぼ縦横交差していて乗り換えはわりと分かりやすい。) 特に奈良方面はJR近鉄入り乱れていてわかりにくい。関西本線は(JR)難波が始発で、和歌山線は王寺始発で、大阪線は(大阪)上本町から大和高田へ、南大阪線は(大阪)阿倍野橋から橿原神宮前へ。と、とりあえず覚えましたよ…
レペゼン紀の国トムです!! 今回は、TOLAND VLOGの昔話編! とくに、「竹取物語」「浦島太郎」について、面白かったので、メモしてくぞ!!!! メモ ・竹取物語 籠に入れて大事に育てられた ・5人の求婚者 石作皇子 車持皇子 阿部御主人 大伴御行 石上麻呂 →ここから3人実在 ・かぐや姫の要求 インドに1つしかない鉢 蓬莱の根が銀茎が金の一枝 焼いても燃えない布 竜の首の珠 ツバメの産んだ貝 ・帝が来る 頑なに結婚を断る ・かぐや姫 この世の住人ではない ・月をみて病んでいく ・月の都の者 満月の日に迎えが来る ・翁たちは武装して月の民を迎える ・かぐや姫は罪を犯しており地上に来ていた …
小栗の親類の「日下 数馬」を「Bing😊」さんに訊く 文字霊日記・3283日目 「Bing😊」さんに楽しげに訊く ↓↑ 覶=𤔔+見=覼 ・・・ 覶=爫+龴+冂+厶+又+見=楽しげに見る・閲覧 2019-06-15 13:56:38 古事記字源 「Bing😊」さんに悲痛、無念な気持ちで訊く ↓↑ アイツラ 「腐汚」にも 「醜金」にも 「ヒト科の霊・魂魄」がないんだろう・・・ーーーーー 小栗 忠順(おぐり ただまさ) 文政10年6月23日〈1827年7月16日〉 ~ 慶応4年閏4月6日〈1868年5月27日〉 大運1860年1月(32歳)癸卯・偏官 丁┏亥(戊甲壬)比肩・印綬 胎⇔戊辰・傷官 三合…
今日は楽しい都市伝説的な感覚で、楽しみながら記事を書いてゆきたいと思います。 ↑の動画はニュージーランドのワイタハ族の長老が語る龍神のお話で、とても面白いです。 日本の海神族も龍蛇族の末裔だと言われています、ちょっとその辺りも含め解き明かしてゆきたいと思います。 先ず、福岡県春日市の春日神社こちらには社殿の貴重な彫刻を施した装飾を残しています。 なんとそこに! 姫大神がチューリップのようなステッキを持って 龍のように飛んでるではあ~りませんか!? これこそ龍の姫ですな♪なんちって。 なんで春日神社に?って思うかも知れませんし、なんで龍蛇族に関係あるの?って思うかも知れないので解説してゆきます。…
(従前)そして最後に奈文研。 奈良文化財研究所の「平城宮跡資料館」に至る。 ご参考:奈良文化財研究所ホームページ 奈文研は独立行政法人国立文化財機構に属し*1、一般向けに研究発表・展示する資料館をおもに3つ持つ。平城宮跡資料館・藤原宮跡資料室・飛鳥資料館である。 それぞれ充実していると思うが、やはり平城宮跡資料館の情報量は格別。*2 奈良時代はかなり情報が書き留められているから、いろいろわかるのだ。 奈良時代、完全に中華かぶれしちゃってるよなぁ。 ワイ将、蛍光X線、割と得意やで!それで飯食えんかったけどな! 暗越奈良街道改め、三条大路を歩き切ることにする。 朱雀門を出て、三条大路まで戻る。 本…
楽天ブログからのつづき イスラエルの夢神行二段目 (御陵神行) 九番 開化天皇御陵 謹みまして申し上げます。 開化天皇御陵に金期気大神お出ましになられまして、イスラエルの夢神行をお務めをいただきました。お立ち会い致しましてご報告申し上げます。仕組みメンバーでございます。 金期気大神お出迎え致しました御陵の使者と共に、私共にご挨拶いただきました。何事の滞うることありませず進みますこと心地よくありますと申されまして、御神座へお進みになられました。私共もあとに続きまして、御神座にお定まりなられます金期気大神のみそばに定まりました。金期気大神四方八方にご挨拶致しまして、ご自身の調整念入りに致しますと正…
皆さん、こんにちは。 あけましておめでとうございます。 今回は、正月旅行に山陰の他に長崎方面へ旅行に行ってきました。 まずは、広島駅まで夜行バスで行き、更にそこから出雲か松江まで高速バスに乗り継いで進みます。広島から出雲や松江まで行くバスは、基本的には予約しなくても、席に空きがあれば、すぐに乗車できるはずです。当日は出雲市行きのバスに乗る予定だったですが、10時の便は・・・ なんと満席でした・・・orz しかも、本来ならば10時バスを逃しても、次の12時発の出雲市行きのバスが出るはずなのですが、なんとコ×ナの影響で減便されているようで、10時発の次が13時半発だったので、出雲に着くのが夕方にな…
笠井新也氏と小澤一雅氏とで見解が相反しているので、主要論点を抽出して、当方の現状判定を行ってみました。 ➡両者で(当方判定によると)正しい所と間違っている所があるようです。 このような場合には真相把握が行いにくくなります。 以下は参考として、笠井氏の論文から「箸墓古墳=卑弥呼墓」の論考の抜粋引用です。 非常に精緻で納得性が感じられる論理と考えています。 これを否定するのは困難と思いますが、小澤氏は <倭人伝の「径百余歩」という描写からごくすなおにイメージされる墳墓の形状は、あきらかに円形であって、「前方後円形」ではないことは、笠井説の難点の 1つであろう。また、 1歩の長さを適当に解釈すれば、…
大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI ) 岡山神社(岡山県岡山市北区石関町) 当社は清和天皇貞観年中(八六〇)の創建で、岡山という現在の岡山城本丸の地に鎮座しており、「坂下(さかおり)の社」と呼ばれていた。永禄年中(一五五八-一五七〇)に「岡山大明神」と改め、天正元年(一五七三)岡山に入城した宇喜多直家が岡山城を築くにあたり、現在の社地に遷し岡山城の守護神として社領(神社の土地)を寄附。 直家の子、秀家が本殿を、その後の城主小早川秀秋が拝殿以下を造営した。池田家が城主の時は城内鎮守として特別に崇敬され、社領として三百余石を寄附。 万治年中(一六五八-一…
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【スーパースターの神功皇后】 仲哀天皇の后で、応神天皇の母でもある神功皇后。 神功皇后といえば大船団を率いて新羅の海岸に打ち寄せると、大波が新羅の国を水浸しにし、前代未聞の出来事に恐れ入った新羅の王が降服したというエピソードがあります。 また、それを聞きつけた高句麗と百済の王も「とても勝ち目がない」と降服したりと、神憑り的な活躍が日本書紀に描かれています。 【なぜか天皇になれない神功皇后】 しかし、その割に天皇には即位できず、摂生政治を69年間しいられ、「開化天皇の曾孫の子」という皇族としての血が薄すぎる系譜が書かれています。 ついには「神功皇后は敵国たる新羅の王子・天之日矛の血をひいている」…
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新年度を新たな御札で迎えたいと、大晦日より早めに準備する我々。 昨日は、雪の晴れ間に導かれたように神社に、向かった先は久留米の諏訪神社。 表向きナムジの次男ということになっているが、私は別の角度から見ている。 先代旧事本紀や私が調べた資料によると、開化天皇と伊香色女が結ばれたのが高良大社、彼らは柳川から船で東征に赴く。 次世代が同じように、柳川から船で長崎を回り向かったのは長野県、これは国造本紀においても示されていることである。 そしてこの日、それを裏付けるように高良大社の次に、コチラの神社は二番目に古く建てられたお宮であることを知った。 私の調べでは伊香色男と開化天皇は同一と見ている、古い文…
どうも、ひのきですm(*_ _)m 本日はこちら、調神社です 調 ( つき ) とよみます この日は第一にこちらの神社を目指して巡ってまいりました さて、お気づきでしょうか 狛犬ではなく、狛兎!! しかもこの日は己卯の日でございました、有り難や有り難や(-人-) こちらも、雑念無く存分に空気感を吸い込む為、いつも通り御祭神だけ確認して由緒を全く見ずの参拝ですので謎のままの参拝でございます(後半に改めて由緒等を書かせていただきます) なんと?! 御祭神は天照大御神、豊宇気姫命、素戔嗚尊の三柱 参道左手には元宮司の像がありました いやー、、、凄いぞ、なんだこの素晴らしい気は 太陽、青空、心地良い気…
賀毛神社 【賀毛神社】 【アクセス】 【参拝を終えて】 【追記】 【賀毛神社】 いなべ市にある賀毛神社を参拝しました。 賀毛神社は鈴鹿山脈の東の麓に鎮座する神社で、この地域(旧員弁郡治田村)の氏神となります。 境内は小さいですが、手入れが行き届いていて、花手水も綺麗に飾られていました。 賀毛神社の創建は平安時代中期で延喜式神名帳にも記載されている格式の高い延喜式内社です。 本殿は平成に建て替えられ、とても美しい内装となっています。 本殿にてお詣りをしました。 主祭神は第9代開化天皇の皇子である日子坐命(ひこいますのみこと」)となります。その他に、治田連命(はるたのむらじのみこと)、鴨県主命(か…