前回:創世記1:2の動詞ハイェターについて ソフト・ギャップ・セオリーを除くすべてのギャップ・セオリーでは、2節における地の描写──新改訳で「茫漠として何もなく」、共同訳で「混沌として」と訳されているヘブル語表現トーフー・ワ・ボーフーが、神のさばきを受けて荒廃した様子(または混沌とした様子)を示すものとして理解されています。 この理解は、ギャップ・セオリー(=破壊─再構築説)が成立するために不可欠なものです。よって、ギャップ・セオリーを検証する上ではトーフー・ワ・ボーフーをどのように解釈するかが鍵となります。また、創造前カオス説もトーフー・ワ・ボーフーは混沌(カオス)を意味することが前提となっ…