プロ野球選手・コーチ・解説者。登録名「関本充宏」。
右投両打、ポジションは投手。背番号は20→44*1→18→14番。
1949年5月1日生まれ。新潟県出身。
糸魚川商工から1968年、ドラフト10位で読売ジャイアンツに入団。
1971年、一軍に上がり10勝11敗と活躍。新人王を受賞。4年目での新人王受賞は唯一。
1974年には最優秀防御率のタイトルを獲得。
1975年7月3日、中日ドラゴンズ戦で、走者の高木守道をグラブをつけたままの左手で殴り、乱闘騒ぎを起こす。
この事件で謹慎処分を受け、トレード放出のきっかけとなった。また、首脳陣批判も度々行っていた。
1976年、加藤初、伊原春樹との交換トレードで、玉井信博と共に太平洋クラブライオンズに移籍。
1977年、山下律夫との交換トレードで、大洋ホエールズに移籍。登録名を「充宏」とする。
1978年、現役引退。
1986年、読売ジャイアンツの二軍投手コーチに就任。1990年には、背番号144番を着用した。
1991年、退団。退団後はRFラジオ日本の野球解説者の傍ら、マスターズリーグ・札幌アンビシャスの選手として活躍。
2004年、読売ジャイアンツの二軍投手コーチに就任し、球界復帰。
2005年、退団。
2006年、ラジオ日本の野球解説者に復帰。
*1:父親が44歳の時の子供であると言う、自らの名前にちなみ、44番を選択した。