阪神の宿願だった西大阪線の難波延長・近鉄乗り入れは順調に工事が進み再来年春に開業の見込みとなってまずはめでたしである。このプロジェクトは戦後間もない頃に立てられて大阪万国博の頃には開業のはずだったのが遅れに遅れた。沿線地元との調整が難航したからである。だが阪神は何も手付かずでこまねいていたわけではなく準備は進められていた。 新線は現終点の西九条からJR環状線と安治川を高さ10m以上の高高架で跨ぎ、その後急勾配を下って地下にもぐっていくと言う計画である。これへの対応には加速減速に優れかつ勾配をスムーズに走れる車両が必要である。そこで1974年~77年にTc+M+M+Tcとなる3901形が4連3本…