阿茶局は春日神社の神人だった神尾孫兵衛忠重に嫁ぎますが、夫とは死別します。その後、徳川家康に見初められ、家康の側室となります。 阿茶局は武芸と馬術に優れ、家康が戦場に行くときはいつも馬に乗って従いました。武家の女性が武術を学ぶことは珍しくはありません。ただそれは護身用であり、前線に出ることはありえませんでした。 徳川家康には十数人の側室がいましたが、徳川の政治に口を出すことを許されたのは阿茶局ただ一人です。 大阪の陣の直前、家康は方広寺の鐘に「国家安康」を刻んだのは、家康の文字を分断し徳川家を呪うためだと難癖をつけます。 片桐且元や大蔵卿局が弁明に来た際に外交交渉を担当したのが阿茶局です。また…