607年7月3日、 小野妹子を乗せた船が隋に向かいます。 遣隋使です。 (進んだ文化を学ぶため) この時代、隋は文化や技術、制度が発達した国であり、倭国は、この隋から色々な事を学ぼうという意図がありました。 当時は、倭国であり「日本」という名称が使われるようになったのは、遣唐使が始まって以降です。 遣隋使のルートは、以下の通りです。 隋に向かう船が大阪の住吉大社のちかくにあった住吉津から船出し、大阪湾に入り、 難波津をへて瀬戸内海から九州筑紫へ行き、ここから玄界灘を渡り、朝鮮半島沿いに 大陸へと向かいました。 当時は、航海術も造船技術も今とは比べものにならない時代です。 荒波を乗り越え中国大陸…