「隣の芝生は青い」という言葉には、二つの大きな視点が入っています。一つは「隣の芝生」もう一つは「青い」。私が外を見る、という一見当たり前のことなのですが、これは「私が見る」という行為によって外がスクリーンに映し出されるってことです。自分と外界という二つの世界が対立的に開示されます。 それだけなら「私の世界」で私と芝生は一極を作れそうに思います。でもそこに、隣の芝生は「青い」(美しい)、うちの芝生は「黄色い」(隣よりも美しくない)という心の分別が生まれると、これは一極を結ばない世界を作ります。 左の二元が一極になるためには、「隣の」も消えます。私と芝生が一つになることによって私の世界が生まれます…