天保15年3月25日(1844年5月12日)〜明治3年12月28日(1871年2月17日) 日本の幕末期の志士。米沢藩士。 幕末では奥羽越列藩同盟のために活躍。明治維新後は新政府に取り立てられた。しかし、不平士族のために嘆願書を新政府に提出したことや新政府に不満を持つ旧幕府方諸藩の藩士が彼のもとに集まっていたことが政府転覆の陰謀とみなされ処刑された。
「加茂軍議」とは、越後方面の戊辰戦争を大きく左右した重要な軍事会議じゃ。長岡藩軍事総督・河井継之助のリーダーシップや戦略的な決断が、歴史に与えた影響などを紹介したいと思う。過日、新潟に遠征し加茂を旅した備忘録も含めて紹介するぞ。 青海神社(新潟県加茂市)
竜は動かず 奥羽越列藩同盟顛末 下 帰郷奔走編【電子書籍】[ 上田秀人 ]価格: 902 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 玉虫左太夫が視察に向った京都は、争乱の渦の中にあった。勤王派は遊郭などで乱痴気騒ぎを起こして、国事に奔走する姿にはとても見えない。その中で長州藩士では第一等と評価の高い久坂玄瑞に会うも、久坂は頑迷な攘夷論者で、アメリカへの渡航経験のある玉虫には最初から喧嘩腰。そして思いの底には関ヶ原の戦いで減封された恨みが忘れられず、玉虫と交じり合うことはなかった。 対して会津藩は同じ奥州で話は通じるも、京都守護職に「押しつけられた」思いは拭えない。狂奔する浪士を相手に、更に過激な新選組…
回天の門 上 新装版価格: 814 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 庄内藩にある清河村の斎藤元司は、村の素封家で酒造りをする家の跡取りで、年から遊郭に出入りするような遊蕩児であった。元司は学問をする傍ら、家を訪ねてきた絵師・藤本津之助から、外の世界について様々のことを聞いて、江戸への憧れを持つ。 江戸行きが許され東条塾に入塾し、頭角を現わすようになった。しかし弟が死ぬと清河村に戻され、鬱々とした日々を過ごす元司は、期限を区切って遊学を許してもらう。江戸に戻って東条塾の隣の千葉道場に入門すると、元司は剣術も学問も長足の進歩を遂げていく。 *清河八郎(ウィキペディア) その頃ペリーが来航し、世間…
2巻からの小塚原刑場の場面で題目塔が登場。 題目塔は、京の商人・八幡屋谷口氏が、全国の仕置場などに、すべての人の救済をうたって設置したものの一つです。 谷口氏が法華宗信者だったため、法華宗のお題目が刻まれています。 延命寺(小塚原刑場跡で永倉新八が雲井龍雄の首級と再会)|荒川区の新選組ゆかりの地・観光スポット 京都三条の商人、八幡屋谷口氏と法春比丘尼により元禄11(1698)年に造立された題目塔です。 十七世紀後半、法華信者の谷口氏が全国の街道筋の仕置場等に造立した題目塔のひとつであり、 小塚原、鈴ヶ森の仕置場等100基以上が確認されています。 江戸旧蹟を歩く 鈴ヶ森刑場跡 江戸の世から疎まれ…
令和5年8月2日(水) 晴れ やや雲多し 暑い 最終日。ありがたいことに今回は4日とも晴れでした。本日は列車の時刻まで、鶴岡市内の散策に充てることにします。港町で商業の町・酒田と城下町・鶴岡では、どのような違いがあるか興味深いです。 ここでも自転車でと思いましたが、自転車が借りられるのが9:00からで、7:30ごろから行動すれば自転車を待っている時間にある程度回れると判断し、徒歩でいくことにしました。
令和5年7月30日(日) 晴れ 雲多し 暑い 羽州街道は、上山から山形・天童と続くのですが、8月の初めの山形・天童地域は「花笠祭り」の季節で、相当の混雑が予想されます。また、山形盆地は、夏は相当暑いと聞いています。そこで、山形を避け、庄内に行くことにしました。山形を語る上で庄内は欠かせません。また、庄内平野の米作りも、一度見てみたいと思っていたところです。 初めは、最上川の川下りをして庄内に入ることを考えたのですが、船の時刻が、列車(現在は代行バスによる運行)の時刻と噛み合わずロスが大きいので諦めました。直接船の会社に確認したのですが、列車利用者のことは考えていないようです。 そこで、余目で下…
「吉村昭記念文学館」の「友の会」に入っていると、ありがたいことに年に数回行われる企画展やイベントの案内が郵送されてきます。 先日、令和5年度第2回企画展「吉村昭の手紙」の案内と図録が届いたので、新緑に誘われ、都電荒川線に揺られて「吉村昭記念文学館」のある「ゆいの森あらかわ」に行くことにしました。 「ゆいの森あらかわ」は「荒川二丁目」の駅から歩いて、すぐの場所にあります。 「ゆいの森あらかわ」と「吉村昭記念文学館」については、このブログの最初の記事で紹介しているので、詳しくはそちらをご覧いただけるとありがたいです。 正面の扉のガラス面に今回の企画展のポスターが貼られています。飾らない、人情味のあ…
2024/2/5月曜日 5時に起床し洗濯。 7時半に長女を駅まで送迎。 その足でスーパーで買い物。 天気予報で雪予報とあったので早めに買い出しを済ませる事に。 9時半に帰宅後読書。 昨日に引き続き「朝敵と呼ばれても」 神保修理、山本帯刀、中島三郎助、春日左衛門、佐川官兵衛、朝比奈弥太郎寿尚、滝川充太郎、森弥一左衛門陳明、甲賀源吾、桂早之助、玉虫左太夫、雲井龍雄、赤松小三郎、松岡磐吉。 いずれも、篤き愛国者故に葬り去られた志士達だ。 この本を読むまで誰一人知る事が無かった。 知る事が出来て良かった。 哀悼。 12時に昨夜以来の食事。 雪を見ながら食べた。 午後も読書。 丸山泰明著「凍える帝国 八…
〇田代光雄 (1888~1965) 教育者。佐賀県生まれ。日州高等簿記学校(現鵬翔高等学校)を設立した。 <田代光雄像> 場所:鵬翔高等学校(宮崎市恒久4336) 竣工:1987年5月 像高: 作者: 撮影時:2022年3月30日 説明:鵬翔高校はサッカーの名門として有名。胸像の背景には、最初に設立した「日州高等簿記学校」の表札のかかる校門の柱も残されている。 〇田代昌稔 (1934~1990) 教育者。宮崎県宮崎市生まれ。宮崎産業経営大学を設立する。田代光雄の子。 <田代昌稔像> 場所:宮崎産業経営大学(宮崎市古城町丸尾100) 竣工:1991年5月 像高: 作者: 撮影時:2022年3月3…