標高1500M〜1900M、一望さえぎるものなく、たおやかな起伏がどこまでも続く霧ケ峯高原、日本では珍しいアスピーデ型火山の産物です。人との関わり合いは古く、旧石器時代、日本の黒曜石文化の中心地として、狩人が獣を追っていたことから既に草原であったことが想像できます。縄文時代の矢尻(石簇)も高原一帯で採取されています。時代が下って中世になると、源氏の武将が全国から集い、狩りや、騎射の技比べに興じました。この時造られた土段が、今でも御射山神社を囲む三方の丘に残り、スタンドの遺構として知られています。近世以降は、諏訪地方の農村の採草地として利用されてまいりました。野焼き(火入れ)も行われ、現在のような大草原となりました。霧ヶ峯はまさに、悠久の時と共に多くの人々の手によって造られてきた草原です。明治時代になると、霧ケ峯は美しい花の咲き乱れる景勝の地として知られるようになりました。特に霧ヶ峯の北側に位置する『八島ヶ原湿原』は全国でも稀な高層湿原であることが判り、『踊場湿原』、『車山湿原』と伴に国宝的存在であると認められて、昭和14年、国の特別天然記念物に指定されました。以後、きびしい保護下に置かれ、霧ケ峯は開発の波に飲まれる事なく、現在でも104科882種という湿原植物、高山植物が咲き乱れる大草原を維持しています。緩やかな丘は幾つかのハイキングコースに、また、冬になると恰好のスキー場となり、ビーナスラインの中心地として、四季を通して楽しめる健全な保険保養地としてその地位を確立し、現在に至っています。
霧が峰