褚山陽(1780~1832) 諱は襄、字は子成、通称は久太郎で、山陽はその雅号である。ほかには三十六峰外史とも。 頼春水先生の嫡男。江戸時代の漢学者、漢詩人。
代表作には「耶馬溪図巻」「耶馬溪図巻記」、『日本外史』、『日本政記』などがある。
画像をコピペする意味について、再掲載。 ……自分は直接、句集や詩集を読むことはほとんどない。だが、歴史の本を中心に、名句、名歌は突然引用されるものだ。あるいは芸術的には取るに足りない句も、その事件や人物に関わっていると重要な意味を持ったりもする。 そういう時、「遭ったらすぐに捕まえて保存する、忘れないように」というポケモン的なムーブが必要だと、経験で教わった。 江戸漢詩選 ((下)) (岩波文庫 黄 285-2)岩波書店Amazon 当然上もある。江戸漢詩選 ((上)) (岩波文庫 黄 285-1)岩波書店Amazon 佐久間象山 「獄中写懐二首」の二 佐久間象山 獄中手懐二首【メモ】 4行目…
詩歌の蓄積が相当量に及びつつある。 ここらでまとめて放出したいが、なにぶん折からの猛暑であろう、見事に脳が茹だりはじめた。 頭蓋の中で創意が融ける音がする。 お蔭でロクな前口上も浮かばない。エエイまだるっこしい、こんなところで何時までも足止め喰らっていられるか、さっさとおっぱじめちまおう。 忍ぶ此の身の手拭とりて、月に着せたや頬冠り まずはこれ、高杉晋作の都々逸である。 逃亡生活中にでも詠んだのだろうか? 作者が作者であるだけに、背後を探ってみたくなる。 井戸の蛙(かはづ)とそしらばそしれ、花も散り込む月もさす 頼山陽のこの句には、 井の中も 住めば蛙の 都哉 誰の作ともわからない俳句一首を添…
こんにちわ。 ブログ百科ララの杏花です。 ついこの間、新年を迎えたと思ったら早3月も後半・・・。 何ということでしょう。 1月~3月は特に早く過ぎると言われますが本当に早い! そして次のブログを早く書き上げなければ、と思っているところでWBCがスタートしました。 長年ファンだったダルビッュも出るし毎回テレビに釘付け! 今回は多くの方がご覧になったと思いますが映画のような、いやそれ以上のドラマチックな要素がふんだんに盛り込まれた試合でしたね! 大谷とエンゼルスのチームメイト、トラウトが最後に対決するシーンなどは、あたかも神の采配か!と思わせる名シーンでした。 それにしても日本の若い投手陣は、あの…
多門院には、頼家(らいけ)の墓があります。 頼家は、江戸時代後期に「日本外史」を著しました頼山陽をはじめ多くの学者が出しました学問の家です。 頼山陽の両親、頼春水、梅颸(ばいし)をはじめ他に、大小30以上のお墓が並んでいます。 頼山陽のお墓は、京都にあります。 お墓は、円錐でとても珍しく、こんな形のは初めてみました。 墓碑には、先生と敬う敬語で記されています。 sobanikutama.hatenablog.jp sobanikutama.hatenablog.jp
広島県竹原市にある頼惟清旧宅です。頼惟清は頼山陽(江戸時代後期の歴史家・文人)の祖父です。この建物は1775年頃に建築されたもので、染め物屋を営んでいたそうです。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
「日本三大奇襲って何?」 「日本三大奇襲は誰が命名した?」 「桶狭間の戦い、河越の戦い、厳島の戦いの共通点は?」 このページをご覧の皆様はそんな疑問を持っているかもしれません。日本三大奇襲とは「桶狭間の戦い」、「河越の戦い」、「厳島の戦い」の3つをまとめた呼び名です。名付け親は江戸時代の歴史家で『日本外史』を著した頼山陽でした。 いずれの戦いも、数的に不利だった「弱者」が数的に有利な「強者」に勝った戦いでした。 今回は、日本三大奇襲それぞれの戦いの内容、共通点などについてまとめます。 戦国時代に興味がある方は、こちらの記事もどうぞ! kiboriguma.hatenadiary.jp kibo…
竹と酒をこよなく愛し、1807年(文化4年)高槻藩士・藤井沢右衛門家に生まれ鉄砲奉行としてお城に勤めた幕末の漢詩人・藤井竹山。 詩は頼山陽に学び山陽亡き後は梁川星巌に師事、七言絶句を得意とする事から「絶句竹外」と称され代表作に吉野山の桜と南朝への感傷を詠った漢詩・芳野三絶の内の一首「芳野」や「花井」「花朝下澱江」などが在ります。 「芳野」懐古で後醍醐帝の陵墓吉野山や南朝への思慕を詠った事や梁川星巌との親交から尊王歌人とも呼ばれますが、ご本人はいたって興味は無かった様に奇行を重ね「疎放、飄逸、酒乱」と評される生活を営んでいます。 藤井竹外の逸話として、「大塩平八郎の乱」に絡んで取り調べられた高槻…