著者: 藤田素子
「額田王」のマンガのコマをアルで探す
万葉歌人。七世紀後半のひと。 日本書紀によれば、大海人皇子(天武天皇)との間に十市皇女をもうけた。後に大海人皇子の兄の天智天皇に寵愛をうけたとも言われるが、詳しいことはわかっていない。 「あかねさす紫草野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」や 「熟田津に船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬいまは漕ぎいでな」が有名。
「袖振り合うも多生の縁」などと申します。すべての出会いは単なる偶然ではなく、深い宿縁によって起こるもの、ご縁を大切にしましょう・・・これ、元・水の分析屋さんは「他生」だと思っています。「多生」も「他生」も仏教起源の言葉に違いないでしょうが、ちょっとニュアンスが違う。「他生」だと、現在いただいている命(=生:しょう)とは別の生、前生、前前生、おまけに前前前世・・・あるいは後生かも知れませんが、とにかく今じゃない生でのご縁。「多生」だと六道の輪廻で何度も生まれ変わった、今の生も含まれる多くの生・・・って考えたわけです。前者がよさそうな気がしませんか。どっちでも似たようなものと言う人には、「≧」,「…
近江神宮は天智天皇が祀られた神社である。 その周りも紅葉が美しい。 イチョウが色づいていてきれいだ。 ずいぶんイチョウも落ちてしまったけれど。 近くの大津京シンボル緑地に歌碑がある。 君待つと我(あ)が恋ひをれば我(わ)が宿の簾(すだれ)動かし秋の風吹く 額田王の歌碑がある。 天智天皇を思って詠ったという歌。 ja.wikipedia.org 茜指す紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(巻1・20・額田王)紫の匂へる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも(巻1・21・大海人皇子)の2首などをめぐって天智・天武両天皇との三角関係を想定する理解が一般にある 宴席での余興の歌であったようだ。 古代の…
明日はお出かけ ずっと行きたかったピッツェリア いつか行きたいとメモを残しておいたら 明日行くことになりました うれしい🎵 あったかいうちに出かけて、 彼女の体もわたしの体も冷やさぬうちに お家にかえさなくては みなさまもお風邪など召されませんよう おやすみなさい・・一句一曲 熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな 額田王 661年ごろ 万葉集 にぎたつに ふなのりせむと つきまてば しほもかなひぬ いまはこぎいでな ぬかたのおおきみ Laura Nyro Save The Country (1968年) https://www.youtube.com/watch?v=…
■あかがし■ 「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)より引用させていただきました。 ●歌は、「莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣我(わ)が背子がい立たせりけむ厳橿(いつかし)が本(もと)」である。 千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園万葉歌碑(プレート) 20230926撮影 ●歌碑(プレート)は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。 ●歌をみていこう。 ◆莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣 吾瀬子之 射立為兼 五可新何本 (額田王 巻一 九) ≪書き下し≫莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣我(わ)が背子がい立たせりけむ厳橿(いつかし)が本(もと) (訳)静まり返った浦波をはるかに見…
「『この味がいいね』と君が言ったから、七月六日はサラダ記念日」(俵万智) 昭和62年ころ、ある学校で、高校でも教えておられる国文学者のF先生と話すことがあった。 F「のりもくん。俵万智さんの歌、知ってる?あなたはどう思う?」 私「え、サラダ記念日ですか?いますごい評判ですよね。どおって、・・・何か和歌らしくないなぁって・・・」 F「うん、現代詩だからね。しかし、悪くないというより、いいでしょう?何か、わかやいでいて、サラダの青さと新鮮さとほんのりとした恋の気分がマッチしてる。わたしは自分ではこの歌を現代感覚詩、または、現代感性詞と名付けてるんですよ」 私「なるほど。だけど、古歌と対比するとどう…
訓読 >>> 150うつせみし 神に堪(あ)へねば 離(さか)り居て 朝嘆く君 放(さか)り居て わが恋ふる君 玉ならば 手に巻き持ちて 衣(きぬ)ならば 脱(ぬ)く時もなく わが恋ふる 君そ昨(きぞ)の夜 夢に見えつる 151かからむとかねて知りせば大御船(おほみふね)泊(は)てし泊(とま)りに標(しめ)結(ゆ)はましを 152やすみしし我ご大君(おほきみ)の大御船(おほみふね)待ちか恋ふらむ志賀(しが)の唐崎(からさき) 154楽浪(ささなみ)の大山守(おほやまもり)は誰(た)がためか山に標(しめ)結(ゆ)ふ君もあらなくに 要旨 >>> 〈150〉生身の体は神のお力には逆らえないので、遠く…
天の川の太陽(下巻)改版 (中公文庫) [ 黒岩重吾 ]価格: 1485 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 中大兄皇子の弟として育った大海人皇子。大化の改新を実行した政界の実力者だが、弟は兄の奥底にある冷酷で非情な性格を察知していた。母の斉明(皇極)天皇は目の前で愛人、蘇我入鹿が殺害されてから心神耗弱の状態が続いている。その間に中大兄皇子はわがもの顔で邪魔者を次々と粛清する一方、同母妹で孝徳天皇の皇后であった間人皇女を寵愛して周囲を困惑させる。また大海人皇子が愛する妻であった額田王を奪われていた。 大海人皇子はそんな兄に疑問の目を向けるが、油断なく対応する。自分は一介の武弁者であり、政治はよく…
前稿まで、全国に広がる万葉故地を追って、これまでに巡った都道府県ごとに奈良県(大和)から東京都までみてきた。 しかし、特に静岡県以東はほとんど巡れていないのが実態である。 今後の大きな課題である。 視点を代えてみてみると、これまで巡ったところでもさらに追及すべき地域や見落としていた歌碑など課題が浮かび上がってくる。 今後も静岡以東も含めさらなる地域の深堀をやっていきたい。 本稿以降は、万葉故地を追っている間に、新たに巡った歌碑や、掲載漏れの歌碑等にもふれていきたい。 歌は、「味酒三輪味酒三輪山あをによし奈良の山の山際にい隠るまで道の隈い積もるまでにつばらにも見つつ行かむをしばしばも見放けむ山を…
🌸🎼 湖底のUndine written by Ryo Lion🌸 「ますますごりっぱにお見えになる。 あらゆる幸福を 御自分のものにしていらっしゃったころは、 ただ天下の第一の人であるだけで、 それだけではまだ人生がおわかりにならなかったわけで、 ごりっぱでもおきれいでも、 正しい意味では欠けていらっしゃるところがあったのです。 御幸福ばかりでなくおなりになって、 深味がおできになりましたね。 しかしお気の毒なことですよ」 などと老いた女房が泣きながらほめていた。 中宮もお心にいろいろな場合の 過去の源氏の面影を思っておいでになった。 【源氏物語 第十帖 賢木 さかき】 正妻の葵の上が亡くな…
訓読 >>> 111いにしへに恋(こ)ふる鳥かも弓絃葉(ゆづるは)の御井(みゐ)の上より鳴き渡り行く 112古(いにしへ)に恋ふらむ鳥は霍公鳥(ほととぎす)けだしや鳴きしわが念(おも)へる如(ごと) 113み吉野の玉(たま)松が枝(え)は愛(は)しきかも君が御言(みこと)を持ちて通はく 要旨 >>> 〈111〉過ぎ去った昔を恋い慕う鳥なのでしょうか。弓絃葉の御井の上を鳴きながら大和の方へ渡っていきます。 〈112〉あなたが「昔を恋い慕う」とおっしゃる鳥は、ホトトギスでしょう、おそらくそのホトトギスが鳴いたのでしょう、私が昔を恋い慕うように。 〈113〉吉野の松の枝の愛しいこと、あなたのお言葉も…
今日も暇に任せてプチ妄想… YouTube福永晋三氏の「草薙の劔」の行方は竹取物語にある? 「竹取物語」は「竹(紫)取物語」からの妄想… 今は昔、二つで一つの王権が存在した… 太陽と月を互いに演じ、交代しながら時代を紡いだ… 太陽となった王家に、月となったもう一つの王家の娘が、草薙剣を持ってやってくる… 嫁ぐとは、おそらく意味が違う 草薙剣を月の王家の姫が、守り続けていれば、太陽となった王家は安泰なのだ… ところが、遠い昔、姫から太刀を取り上げ、我が物にしようとした王がいた… 「これで、この国は、私一人のもの…」 王は姫に向かって言った 「もうお前に用はない…とっとと国へ帰れ」 姫は、毅然とし…
十市皇女 生母は鏡王女額田姬王、通説、全く根拠のない解釈。 十市皇女参赴於伊勢神宮時見波多横山巌吹芡刀自作歌、 「明日香清御原宮天皇代 天渟中原瀛真人天皇謚曰天武天皇 十市皇女参赴於伊勢神宮時見波多横山巌吹芡刀自作歌」 【疑問】 全く根拠のなく、単に、漢字を羅列、誤解釈しているだけ、【吹芡刀自】⇒【解読していない】 (飛鳥浄御原宮を治められていた天皇代 天武天皇 / 十市皇女が伊勢神宮に参拝された時、波多の横山にある大きな石を見て吹芡刀自が作った歌)とあります。 【疑問、注釋】 1 十市皇女が伊勢神宮に参拝された時、何時【十市皇女の年齢?】 【見波多横山巌吹芡刀自作歌】⇒⇒【見波多横山巌吹芡刀…
2017年発表の本書は、NHK「いけずな京都旅」のコメンテータである国際日本文化研究センター井上章一教授の京都論。TV番組では軽妙に「いけず」と博識を披露している著者だが、てっきり文系研究者と思っていたら建築学の教授(建築史・意匠論)だった。確かに伏見稲荷大社などの歴史的建造物の紹介は、堂に入っていた。 著者には、2015年の「京都ぎらい」という著書があり、他の著作より多く売れた。烏丸御池の大垣書店には目立つところに平積みになっていたが「ほんとうは好きなくせに」とポップされていて、唖然としたとの記述がある。その「二匹目のどじょう」を狙ったのか、ちょっとエロチックな京都の歴史を紹介しているのが本…
プロレスラーから参議院議員へ、そして現在は石川県知事として活動する馳浩氏は、多彩な経歴を持つ人物です。そんな彼が「蛍雪時代」という雑誌の連載をまとめた一冊の本、それがこの『「古典」簡単じゃないか』になります。馳氏の人間性が感じられる熱意あふれる文章は、読者を魅了し、共感を生む力を持っています。 馳浩氏は、野球やサッカーで名を馳せる星稜高校で国語教員としても勤めていました。私の兄が星稜高校の受験をした際、試験監督は馳氏だったそうです。生徒への受験指導も手がけていた馳氏の知識と経験は、この本にも反映されています。彼の深い古典文学への愛情と知識が、受験のポイントや古典文学についての考察とともに綴られ…
桜井市 関西の方にとっては、桜井市という都市の名前は、おそらくご存知だと思います。ただ、それ程の強い印象はなく、奈良盆地の南に位置する小さな街、程度の認識なのかも知れません。 この桜井市、実は、古代大和の王権の中心地だったところです。市内には、数多くの史跡などが残っていて、今も調査は続いています。近年の発掘調査では、纏向遺跡(まきむくいせき)の実体が明らかにされつつありますし、王権初期の巫女である、倭迹迹日百襲姫(やまとととひものそひめ)の陵とも伝えられる箸墓古墳(はしはかこふん)も有名です。さらには、聖なる山、三輪山を中心にして大神神社(おおみわじんじゃ)や数々の歴史ある社が鎮座する他、長谷…
西中国山地登山旅行の最終日となる7日目は東京までの帰路を辿る一日となりますが、午前中は時間的余裕があったので、前々から行きたいと思っていた滋賀県の近江八幡の観光とその周辺の文化財巡りに当てました。前泊した京都から東海道本線で滋賀県入りし近江八幡に到着した後は前日同様にレンタサイクルを利用、まずは苗村神社や鏡の宿といった隣接した竜王町内の国宝や重要文化財を巡り。その後は重伝建にも指定されている近江八幡の旧市街地を見物しました。
日本三大○○など、3つの名数の一覧。
昨日からの保険請求の段取りを、やっとこさつけて、ようやくまったり… YouTube「福永真三 鷹羽國研究所」を流し聴きながら、珈琲なんぞをいただいております… 今日のお話は、『万葉集』が語る「天智天皇の最期」… 日本書紀は、壬申の乱の前に病気で亡くなられたとするが、『扶桑略記』はそうは語らない…その真相を『万葉集』から追う… 本日も、なかなか、興味をそそる話題… 大海人皇子に追い詰められ、天智天皇は、新羅に逃れようとするが、大海人皇子は、遠賀湾出口を封鎖…もはやこれまでと、陸に上がり、天智天皇は自ら入水される… 『万葉集』には、柿本人麻呂、額田王の挽歌が並ぶ… やはり、額田王の心は、天智天皇の…
当エッセイは、「家族関係と人生への影響について、様々な視点で考えること」と、「人の才能は人生の光と影の両面にあると伝えること」を目的に書いております。 ※今回は、家庭内暴力およびいじめについての記載があります。 ※人によっては読んで過去のトラウマを思い出す可能性がありますのでご注意ください。 ------------------ ⑦ー1:道後温泉にて 道後温泉は飛鳥の湯にて、額田王の代表歌を目にした。 「熟田津(にきたつ)に船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」 このタイミングでこの地に来れたことは幸運である。「自分らしい人生」という大海原へ舵を切ってから約3ヶ月。「私」という小舟…
そもそも天智天皇と天武天皇の関係って…??? 天智と天武…古代史上のこの二人の有名人の関係を、スッキリと説明してくれる考察に未だに出会わない… 一筋縄ではいかない軋轢がこのお二人にはあるのは、確かなんだが…その根源にあるものが未だにわからない…単に政治的対立ということでは片付けられない何かがあるような… それに対して、周りの女性は、お二人の間を盛んに行き来する…このあたり、今の常識で、男女の間を考えてはいけないんだろうが…当時の関係性そのものがよくわからない… まず、一生懸命理由付けをしようとするが、どうもしっくりこない額田王の動き… それに、天武との間の娘の動きもそうだ…嫁いだからには、夫の…
●歌は、「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」である。 茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森万葉歌碑(プレート)(額田王) ●歌碑(プレート)は、茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森にある。 ●歌をみてみよう。 ◆茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流 (額田王 巻一 二〇) ≪書き下し≫あかねさす紫野行き標野(しめの)行き野守(のもり)は見ずや君が袖振る (訳)茜(あかね)色のさし出る紫、その紫草の生い茂る野、かかわりなき人の立ち入りを禁じて標(しめ)を張った野を行き来して、あれそんなことをなさって、野の番人が見るではございませんか。あなたはそんなに袖(そ…
奈良県桜井市、長谷寺の参道を歩いていると、額田王の万葉歌碑がありました。(S)=2023年11月18日撮影
[私の百人一首] その1 1 春の苑(その)紅(くれなゐ)にほふ桃の花下照(したで)る道に出(い)で立つ乙女 (大伴家持『万葉集』巻19、明けましておめでとうございます。今日からは、これまでの「今日のうた」の中から選んだ「私の百人一首」を毎日一つ投稿します) 2 我が思ひを人に知るれか玉櫛笥(たまくしげ)開きあけつと夢にし見ゆる (笠女郎『万葉集』巻4、「大切な玉櫛笥の蓋を開けた夢を見ちゃった、まさか、秘めていたあなたへの想いが知られちゃったんじゃないわよね」) 3 恋ひ恋ひて逢へる時だにうるはしき言(こと)尽くしてよ長くと思はば (大伴坂上郎女『万葉集』巻4、「やっとやっと逢えたときくらい、…