「俳句を詠むためには地獄を通過しなければならない」誰かが語った言葉だが、俳句を素人としてではなく、玄人として極めようとすると、その先には魔道が潜んでいるらしい。この感覚は私のようなアマチュアの権化のように見られている人間でもそこはかとなく分かる。私は松尾芭蕉には暗いが、晩年の飯田龍太は修羅の形相をしていた。地獄を見据えているようであった。そのためにその御作が共通感覚コモンセンスから逸れることがしばしばあった。俳句を真剣に取り組んだ人にしか分からない、痛ましい生き様だった。 俳句に限らず、短歌、小説で凄い作品を書く人は、一見、非の打ちどころのない紳士、淑女である場合が多い。この人がこんな凄い作品…