勤場所(現記念建物)で神楽勤、おてふり、教祖からの神の話の取次が行われ教祖や弟子らが神の勤めに励むこの小さくても勇んだ心で造り上げた勤場所から元の神、実の神の教えが急速に広がっていった 落つれば登るより道なく、霊泉は人の来り汲む如く、文久元年の頃に至って、教祖を生神として信ずる者付近に現れ、不思議な神珍しい神として、四方に喧伝せらるるに至り、参詣する者日に多きを加へた。 信者の増加はやがて参詣所の必要を感ぜしめた、この時教祖の衣鉢を継がるべき飯降氏が、内室のお助けより入信し、報恩の意を致す為に、大工の身を幸い社を造って奉献せんと願われし所、教祖は「小そうても勤場所を始めかけ」と仰せられた。 神…