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飯高寺

(一般)
はんこうじ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(飯高檀林 から引用の上加筆) http://ja.wikipedia.org/wiki/飯高檀林

概要

飯高寺は、1560年(天正8年)に開設され、1874年(明治7年)まで名僧を輩出した日蓮宗の最古で最高位の檀林。日蓮宗の名僧、傑僧を多く輩出した。近年では国柱会の田中智学が飯高檀林の出身である。1560年の飯高檀林開設以降、関東八大檀林、関西六大檀林へと発展し全国に諸檀林ができて、1872年(明治5年)の「学制」発布により同7年に廃檀となり、294年間の歴史を閉じることになる。その後、日蓮宗大学にその役割を譲り、現在の立正大学と至り、そのため、立正大学発祥の碑が建てられている。また、同県成田市三里塚の地名の由来の基点にもなっている。そのほかにも、この周辺にはいくつかの神社や寺院、黄門桜などがある。現在では日蓮宗本山堀之内妙法寺の寺系に属する。

廃壇後は荒寺となっていたが先代・潤生院日雲上人(1983.5 逝去)が山主に就任後私財を投じて復興事業を開始した。これは恩師・身延山八十二世岡田日帰上人の学恩に報いるためであったという。しかし本来教育機関として機能してきた飯高寺には寺請制度による檀家はなく資金調達は困難を極めた。日雲上人は在野でも東京立正短期大学の学長を務めながら東京博善(株)の専務取締役として経営に参画しその収入を飯高寺復興に当てたが、資金的には潤稱院日潮上人(2005.4 逝去)の協力が不可欠だった。日雲上人同様、民間企業の経営にも参画していた日潮上人は日雲上人のために奔走した。日雲上人は晩年後継の山主として日潮上人を推挙したが、遷化後の津送のとき、のちに堀之内妙法寺第35世に昇る自徳院日法上人(2006.11逝去)が日潮上人に対して「あんたはいままで通りカネだけ持ってくればよい」と言って日潮上人が激怒したというエピソードがある。

やがて高度経済成長時代にはいると行政も文化事業に目を向けるようになり、文部省、千葉県教育委員会の協力を得て現山主・東京立正短期大学総長藤井教正上人のもとで本格的な復興事業に着手する。総門、鐘楼、鼓楼の順で復興が行われ、最近までは歴史的建造物を保存するために、本堂の改修工事が行われていた。

ちなみに、檀林とは栴檀林の略語で僧侶の集まりを栴檀の林にたとえた、つまり寺院の尊称であるとともに仏教の学問所を意味する。

歴史

1560年 飯高檀林を開設
1651年 講堂が火災に遭い再建
1872年 学制配布により廃檀
1980年 講堂・鐘楼・鼓楼・総門が重要文化財(国指定)、檀林跡としては境内全体が県指定史跡になった

文化財

重要文化財
飯高寺
講堂1棟 桁行26.7m、梁間18.2m、一重、入母屋造、とち葺(慶安4年)
  附指定 棟札2枚
鐘楼1棟 桁行一間、梁間一間、一重、入母屋造、こけら葺(承応3年以前)
鼓楼1棟 桁行一間、梁間一間、袴腰付、入母屋造、茅葺(享保5年)
総門1棟 高麗門、銅板葺(延宝8年)

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