宝永7年9月27日。勝蔵で文左衛門は酒を頂く。勝蔵は金15両を持参して貸してくれる。来年卯年の暮から3両ずつ元(現)金で未の年の暮れまでに返してくれればと云々。かけてくれた恩はたとえようもない。丑刻(午前1時)、巾下あめや(飴屋)町から火が出る。乾(北西)の風が強く、猛烈な火が飛び散る。文左衛門は役所へ出向く。燃え落ちたところがたくさんあると聞こえてくる。弥次右は気分がすぐれず現れなかった。夜明け、弁当を取りに行かせ、酒・食事をとる。巳(午前9時)前、城代衆が帰られたので、文左衛門は仲間と出かける。5、6人と焼け跡を一巡りして帰る。火元はやぶ下一郎右衛門の控家で、志水甲斐歩行の者伊藤文平と云々…