武蔵スタジオ通り、 エムザ側にこんな案内板があります。 幕末から明治5年頃まで 高峰譲吉博士はここに住んでいたとのこと。 まちしるべとか○○跡とか由緒書を読む度に、 その頃の様子はどうだったんだろうと 想像します。 エムザの屋上にあるという「高峰桜」を 見てみたいです(^^)
黒門前緑地には、 国際的化学者、高峰譲吉氏の住居の一部が。 庭に、つくばいと織部灯籠があるので 茶室として使用されていたのでしょうか。 ここは利家公の四女、豪姫の屋敷跡でもあるとか。 必ずしも、織部灯籠=キリシタン灯籠ではない みたいですが、豪姫は洗礼を受け、洗礼名を 「マリア」というそうです。 ということは、これは豪姫が大切にしていた 灯籠なのでしょうか。 高峰譲吉時代のものなのか、 豪姫時代のものなのかわかりませんが…… 謎は謎のままでいいような気もします。