●明治政府にさえ頼られた易聖。
●江戸の大材木商;遠州屋嘉兵衛の家の生れで、この父の後を継いで事業を拡大、ガス灯、下水、貨物船、旅館、遊郭(;横浜市高島町は彼が埋め立てた土地で)などを営んだ。
●その関係で各方面の有力者と知り合い、成功法が彼の易占にあることを知った人たちが高島を頼った。
●中でも伊藤博文がベッタリで、日露戦争の際の連合艦隊の司令長官に東郷平八郎を薦め、また、博文のハルピンでの暗殺をも予言して強く止めようとしたのだけれども(;→ 易占で「艮為山」の「三爻変」で最悪だ、と云ったのだ)、博文が聞き容れずに、あのような悲劇に終わったのだと伝えられる。