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高津臣吾

(スポーツ)
たかつしんご

プロ野球選手。MLB選手。野球指導者。
通称「ミスターゼロ」。
右投右打、ポジションは投手。背番号は22*1→11→22番。

1968年11月25日生まれ。広島県広島市南区出身。180cm73kg。
広島県立広島工業高等学校から亜細亜大学に進学。
1990年、ドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。

入団3年目の1993年にクローザーに抜擢され、20S、チームのセ・リーグ連覇、日本一に貢献。
翌1994年には19Sで初の最優秀救援投手のタイトルを獲得。
シンカーを武器に、スワローズの絶対的なクローザーとして、黄金時代に貢献。
故障の影響もあり低迷した時期もあったが、1999年、復活し2度目の最優秀救援投手に輝く。
2001年、自己最多の37Sを挙げ、自身4度目のリーグ優勝・日本一に大きな貢献。
2003年、佐々木主浩の持つ通算セーブ記録・通算セープポイント記録を更新。
その年のオフ、FA権利を行使しシカゴ・ホワイトソックスへ移籍。

2004年5月2日にトロント・ブルージェイズ戦でメジャー初勝利。
6月12日にはアトランタ・ブレーブス戦でMLB初セーブを挙げる。
「ミスターゼロ」と呼ばれ、チームのクローザーとして活躍。
6勝4敗19セーブ・防御率2.31の成績を残す。

2005年もシーズン当初からクローザーとして期待されていたが、
31試合に登板、1勝2敗8セーブ・防御率5.97と不振で、5月中旬から中継ぎに降格となる。
7月18日、戦力外通告を受けマイナー契約を交わす。

8月1日、ホワイトソックスがマイナー契約を解除したことにより、自由契約となる。*2

8月12日、ニューヨーク・メッツとマイナー契約。31日、メジャー昇格。

同年、FAとなり退団。


2006年、招待選手として東京ヤクルトスワローズに復帰。
同年5月18日、東北楽天ゴールデンイーグルス戦にて約3年ぶりのセーブを挙げる。

2007年、背番号を22番に戻す。
同年オフ、戦力外通告されヤクルトを退団。


2008年、再びメジャーに挑戦。シカゴ・カブスとマイナー契約。
同年6月、韓国に渡りウリ・ヒーローズに入団。
同年オフ、外国人枠の関係から退団。
2009年、サンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約。3度目のメジャー挑戦も3A止まり。
2010年、台湾に渡り興農ブルズに入団。日・米・韓国・台湾の4カ国でプレーした初の日本人選手となる。
同年オフ、自由契約となり退団。

2011年、新潟アルビレックスBCに入団。翌年プレイングマネージャーを務めるも、1シーズン限りで現役を引退。

2014年、東京ヤクルトスワローズの投手コーチとして7年ぶりにヤクルトへ復帰。

リスト::野球選手

*1:スワローズの準永久欠番。

*2:2005年にホワイトソックスがワールドチャンピオンとなり、チャンピオンリングを手にした((チャンピオンリングは、ワールドシリーズ終了時点のみならず、その年にプレイした選手全員に贈られる。

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